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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

心の強さで天使にも悪魔にもなる。

 どんな安定した生活や仕事をして、家庭環境を持っていたとしてもある瞬間、その安定は一気に崩れ去ってしまう可能性があるもの、それは未曽有の被害が及んだ自然災害などで、表面に現れます……


『災害は、平均的に試される‘試験’のようなもの』


 今日は、そんな話。

 


あらがえないものに出会ったとき。人は混乱する……

 普段なら理性を持ち合わせて、凛とした行動をする人でも、我を忘れることは多々あります。まして、普段からストレスにさらされている人ほど、暴走してしまうことがあるかもしれません。
 あらがいようのない、理不尽な状況に、我を忘れて我が強くなってしまう人もいますし、その反対もいます。あらがいようのないものに出会ったときに、自制心が強く活動し、自己犠牲と言えば聞こえが悪いですが、他者を優先して行動する人もいます。
 そう考えると、人の性格や人格が千差万別いることから、より細分化されて暴走してしまう人もいるのでしょう。誰もが、理知的で効率よくなんて、できませんから。

自然災害や未曽有の出来事は、課せられた試験……

 命の危機はそうそう襲ってこないもののため、盲目的になれてしまっていますが、意外と近くにありその身を狙っているのです。
 狙っているというと語弊を招きそうですが、その最たるものが交通事故です。普通に散歩をしていただけなのに、交通事故に巻き込まれて亡くなってしまったりと、痛ましいニュースが流れることもあります。
 そして、そのような事件が流れるたびに、意外と近くにそういうものがあるのだと再認識します。しかし、いつしかその記憶は薄れ、慣れっこになっていきます。そんな中で、自然災害は強く残り続けます。

 あらがうことができない自然災害は、甘んじて受けるしかありません。まぁ、現状ではですが。トライ&エラーで改善をしながら、人は進化を続けてきました。なら、ここから先の未来はいずれ、新しい価値観と世界観で、未来へと進んでいくことになります。
 正しく理解し、理知的に行動することで、乗り越えられるのですから。特に、この自然災害などは、自暴自棄になってしまう人をあぶりだすような、またそんな自暴自棄の人を、見つめなおさせるためのきっかけなのかもしれません。

 人は、誰でしも、自暴自棄になる可能性を秘めています。それがらが得ないものならではの行動で、心の安定を図るのには、必要不可欠なのかもしれません。しかし、他者を害してまで、安定を求めてしまうくらいの、貪欲さを持っている人は、意外と不安定な心理の上に、成り立っているのかもしれませんね。
 そんな自己中心的に考えてしまうような人でも、どこかに必ずきっかけがあるはずです。それを、単純に見つけられないため、自己中心的になってしまう可能性があります。

 それは、育ってきた環境も相まって。なおのこと暴力的になってしまうこともあります。そんな人でも、自分の内側の暴走したい気持ちをぐっと堪え、制御できれば、こっちのものです。
 そこに気が付けたことで、そこから改善していくことが可能になります。それは、採掘をするジャガイモのように、ぽろぽろと紐づけされた身が出てくることでしょう。日々、考えながら、理知的に行動できるきっかけは、誰しもが持っているものです。
 日々の状況を的確にとらえて、自分の心を養っていけるようになりたいものですね。

最後に……人は‘混乱’する生き物。

 ここで上げた対応策は‘あくまでも一例’です。この記事や執筆動画をきっかけに、考えるための足掛かりにしてくれると、冥利に尽きます。
 ストレスがかかると、人はどうしても自暴自棄になってしまうことが増えます。それは、単純な‘意思を伝えたい’という言葉では済まされないほどに、大量の意思をはらんでいます。
 そんな自暴自棄にならないように、他者を害さないようするようにと、考えるきっかけになってくれればと思います。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました(`・ω・´)ゞ

 こちらの記事は以下のURLでためになる執筆動画として、同時視聴可能になります。
https://youtu.be/3AWtCL_GMLU

心の安定は得難いけど、見えていないだけかも?

 仕事の安定に、生活の安定と一言で‘安定’と言ってもいろいろとありますが、その中でも、一番得難いものがあり。その安定を手に入れようとすると、どうしてもその手からすり抜けていってしまうもの。それが今日のテーマで……

『日々の喧噪に追われ‘安定’を求める両手の隙間から逃げてしまうもの。』

 今日はそんな話です。

 


普段の私生活を充実させるために、いろいろと悪戦苦闘をするけれど……

 毎日のように出社したり、リモートワークをして私生活を安定するために努力を惜しまないのが人の常です。私も執筆動画をアップしたりはてなブログにあげたりしています。
 安定した仕事と言えば、数年前までは、公務員が安定した仕事の代表のような位置づけになっていましたが、今は状況も変わってきたことで、人気な職業も変わってきています。

 youteuberなどの動画系の…職業といっていいのかはわかりませんが、youtuberもそういう意味では職業系といっても過言ではないほどの人気を持っています。
 人気のあるチャンネルになれば、それだけで食べていけるようになります。まぁ、私の場合は、誰かの心の片隅にひょっこり残っていてくれればそれでいいですが。

 と、話を戻すと。
 安定した仕事に就くことで、その対価として安定した生活を得られることになります。それが当たりまえで普通の日常でもあります。

 

そんな中でも、なかなか得難いのが…心の安定。

 日々仕事の喧噪にもまれてしまっていては、なかなか心の安定は得られません。不意に訪れる仕事終わりの焦燥感と脱力感で、自宅は単純な‘寝る場所’と化してしまうのです。
 そこに心の安定があるのでしょうか?あったとしても、体の疲れをいやすための安定で、肉体的安定ともいえそうです。なら、結婚をしたりすれば得られるものなのか……
 それも一概に言えないのが、心の安定と仕事の安定は表裏一体で、妙にかみ合いません。また、リモートワークなどであれば、多少の自由があり、リモートワークによって家族と一緒に仕事をできるようにすらなります。

 また、私のように作家がメインで活動している場合には、ほとんど仕事をしていません。そんな誰しもが得たい‘心の安定’ですが、ふとした瞬間の休日などは、得ていることでしょう。
 それは、自分の愛した人と、普段の生活を送ること。つまり‘寄り添う’ことで、心の安定は少しずつ安定していきます。
 それは、単純ではないかもしれません。まして、単身者であればなおのこと、寄り添う相手がいないですから。
 ならば、パートナーを見つけるときには、注意をしたいものです。それは‘自分の波長’に合うのかどうかを……

 そこに注目することで、より自分に合った安定したパートナーを得られることができます。寄り添ってしっかりとあなたを支えてくれる嫁や旦那がきっと現れます。それが、あなたの心を安定に導き、安らかな気持ちいしてくれるようになるのです。


最後に……ここで上げた寄り添い方は、あくまでも一例です。

 自分と寄り添ってくれるパートナーは意外と少ないかもしれません。まして、自分と波長が合うなんてことは、なかなかあり得ることではありません。しかし、自分にあった方法を‘考える’ことで、よりあなたらしい考察方向が生まれてきます。
 ここでは、このような‘考えるきっかけ’になるような動画や記事を書いていこうと思います。
 単純に答えを求めるのは簡単です。しかし、その道中の経験則は得られなくなってしまいます。ならば、ここから考えるための、きっかけとしてはいかがでしょうか。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ

こちらの記事は、以下のURLで同時視聴可能になりますので、そちらも、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ
https://youtu.be/a3hTO_ExpyE

心のカタチは多くあるけれど、その心の鍵はどこに?

 人それぞれにある‘心’は人の数だけ多種多様に枝分かれをして、その人固有の性格を作り出しています。それは、愛するあなたの横にいる人や、彼女にもあるもので、恋愛にも密接に関係していきます。
 そんな心の扉を開く鍵は、意外と手元にあったり、相手の心を射止めるための、扉を開く鍵はもうすでに手の中にあるかもしれません……

「心と心の扉を開く鍵は、寄り添って相手を感じるほどに、その手にするもの。」

 今日はそんな話をお送りします。

 


言葉を介することで、意思の疎通はするけれど…

 人は生まれてから、義務教育を経ていくうちに「日本語」が身についていくことになります。そうして、その言葉は意思の疎通に使われるようになり、現代の生活が成り立っていることになります。
 何を買うにも、言葉を介してその意思を伝え、商品を購入する。それは、単純な購買だけではなく、人々の生活に密接にかかわり、必要不可欠なものになっています。しかも、それが当たりまえになっているため、盲目的に使っているのが日常です。

 そして、しばしば言い争いが発生します。それは、単純な考え方の違いのほかにも、このような原因も含まれます。それが……
 ‘意思の疎通の失敗’
 です。単純な言葉のやり取りの中で、意思の疎通が失敗してしまうことで、口論に発展してしまうことがあります。同じ目標を目指しているにもかかわらず、意思の疎通がうまくいかないことで、口論へと発展してしまうのです。
 これは、非常に残念なことで、自分の意思を伝えようとするあまり、相手の意見をブロックしてしまうのです。

 それは心の盾となり、相手の考えをブロックし、自分を突き通すために働いてしまうのです。それは、非常に残念なことで、どちらかが受け入れて上げることで何倍にも効果が発揮されるはずの能力を、減衰させてしまう可能性すらあります。
 そんな口論が繰り広げられてしまう理由が、今回の心の鍵にも深くかかわってきます。

それは、寄り添うことで相手の意思を柔軟に受け止める。

 心の機微や感情の機微と呼ばれるそれは、より柔軟な心を得ない限り、なかなか容易ではありません。何せ、自分には伝えたい想いと概念があるのですから、それを通そうとしてしまうのですから。
 であれば、受けての方が柔軟に吸収しなければ、口論へと発展して、最悪の場合、決裂してしまうのです。

 では、そんな柔軟にできるようになるのかというと、これが実に単純です……

 『相手の話を最後まで聞く』

 ということです。しかも‘深い意味で’です。
 言葉の節々から感じられる相手の意思は、声の抑揚に乗り、あなたの耳に届き、あなたの心を揺れ動かすことでしょう。それに影響を受けてしまい、どうしても口論に発展してしまうのです。
 当然、イラッ!とすることが多いかもしれません。相手の放つ言葉には‘言霊’が宿り、あなたを動かすために音波となり伝わってくるのですから。当然、それに対して対策を取らないと、心が揺さぶられてしまいます。

 なら、その防御として、強固な盾を持つのか。それが最善で最良のようにも見えますが、この方法は対外的にはいいというだけです。そう‘対外的’にはです。

 社交辞令のように、相手をするだけなら、その強固な盾でブロックしてしまえば、防ぐことは可能です。しかし、根本的には解決されません。
 相手が伝えようとしている意思のほとんどを‘弾いて’締まっているのですから。相手も何も得られませんし、自分も得られません。百害あって一利なしです。そこに生産性は生まれません。

 ではどうするのでしょうか。まずは、盾を捨ててみましょう。そうすることで、あなたは無防備になります。そのような場合は、回避するしかありませんね。そこで考えるのです。
 ‘相手はどんなことを思っているのだろう’と…
 そうすることで、相手の言葉の背景にある‘思い’がすべて聞こえてくるようになります。読唇術などのスキルもありますが、そのようなことよりも実に単純かもしれません。

 まして‘読書をする人’なら、なおのこと得意になっていきます。読書をすることで、行間からキャラの感情に思いを馳せたり、キャラに感情移入をして、物語を楽しむことになります。
 なら、これを‘現実で’使えばいいのです。相手はどんなことを思っているんだろうと……
 そう考えていくことで、より相手の心に寄り添えることになります。それは、単純な数行の文字だとしても、その言葉の中には相手の想いが入っています。そこから、どれだけ相手の想いを読み取れるのか、相手の好みや性格なども、慣れてくると読み取ることができるようになってきます。
 そうなってくると、あなたはもう。盾を持って防御する必要はなくなってくるのです。


最後に、防御をすることも大切だけど……

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。最後のまとめとして、これだけは念頭においてください……

 ‘ここに挙げた方法はあくまでも、一つの答えにしかすぎません’

 ということです。ここに挙げた考え方は、あくまでも‘私の’考え方にすぎません。そして、ここまで読んでくれた方、動画を視聴してくれた方は、私の考えを聞いたり見たうえで、一様に‘考えられる方’です。
 なら、その能力を使わない手はありません。ここで上げた私の考え方を例にすれば、順序だてて考えていくための梯子をつけたことになります。
 最初は‘真似’でもいいかもしれません。同じように考えて‘この人なら’と考えることで、より理想に近づいていくことになります。

 この記事や、動画では‘考えるためのきっかけ’として、特集しています。地頭力が求められ始めている昨今では、いまから考えて行動するようになれば、数年後には、今ではあり得ないことが叶っているでしょう。
 『あの時、こう考えたから、いまがある…』
 そう言えるように、未来を紡いでいきたいものです。


 最後まで視聴・読んでいただき、ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ

こちらの執筆動画は、以下のURLで視聴可能です。
https://youtu.be/PKi1TrOXwxk

心の動きと‘カタカナ’と‘漢字’。そして‘ひらがな’

 世界的に見ても、日本だけが三種類の文字を使っています。三種類の文字…といっても英語などではなく…‘ひらがな’‘カタカナ’‘漢字’という三種類になります。そんなまれな国の日本語は……

「人の感情の機微に寄り添える言葉?」

 今日は、そんな話。

 


ほとんどの国は、一種類かあっても、二種類程度。

 日本の言語は大和言葉を発祥とし…(他にもあるかも…)て、日本固有の言語でした。漢文の到来までは、大和言葉を使い、貴族の間で会話がなされていました。
 そして、漢文が入ってきたことにより、大和言葉と奇妙に交じり合って、日本語が成長していくことになります。その過程で、日本では‘ひらがな’‘カタカナ’‘漢字’という三種類を使うことになっていくのです。

 では、どうしてそんなに分かれてしまったのか……
 実は意外と単純なことで、漢文が入ってきたとき、当時の人はしっかりと理解しようとお坊さんたちが、その漢字に対して‘フリガナ’を振るのです。発音や意味を理解しようと…そうすることで‘カタカナ’が生まれていきます。

 まさかの…しっかりと学ぶためにお坊さんが‘フリガナ’として使ったのが‘カタカナ’というオチです。まぁ、諸説あり。ですが…

 また、‘ひらがな’に関しても、素敵な生まれがあり。それは当時の貴族の女性の間で生まれたという説があります。
 それは、当時の貴族同士での恋愛事にも、漢文は用いられていたのですが、女性が恋文を贈るのにも、漢文を使ってしまっては、社交辞令のような形になってしまいます。
 ならばと、‘ひらがな’が生まれたというのが説のひとつのようです。

 恋文の想いを伝えるために‘ひらがな’が生まれたというのは、何ともロマンチックですね。平安時代の女性たちは、ロマンチックでもあったのです。それは、現代にも引き継がれていて……
 少し前になりますが……まるもじ。覚えてますか?あれも、女性の間で流行しましたね。そのように、女性の間で言葉が生まれてくるというのも、いいものです。そういう面からとらえると、ひらがなが女性発祥ということもうなずけます。


感情の機微に寄り添うために作られた?

 平安時代の貴族の女性は、恋文などに使うために‘ひらがな’を生み出しました。その思いを文字にしたため、意中の相手に伝えるためにひらがなを使い、一文字ずつしたためたのでしょう。
 それは、とてもロマンチックで、いろんなことを考えながら、その思いを形にしていったことが想像できます。
 そう考えると、お坊さんも、漢字をしっかりと覚えるために‘カタカナ’を、平安時代の女性は、想いを伝えるために‘ひらがな’を。それぞれが、当時の感情の機微を形にするために生み出されたといっても、過言では無いように思えてしまいます。

 そのため、日本語というのは、物語を紡ぐには最高の言語なのかもしれません。一つの国の中に三種類も言語があるのだから。話のレパートリーも増えていきます。
 そんな人の感情の機微に触れられる言葉をつかえている私は、幸せ者なのかもしれませんね。


最後に……感情の機微とは、言葉から生まれる。

 この執筆動画や普段話では、考えるための‘きっかけ’を提供していければと思います。解説動画やレビューはいっぱいあったとしても、自分のモノになるかどうかは、視聴者にかかってしまいます。
 その都度、調べて。違ったからダメだった…ではなく、‘応用’できるものは、なんでも応用していこうと、企画しました。

 その最初となる今日の普段話は、日本語には三種類の言語があるということをピックアップしてきました。その言語はそれぞれが、しっかりと理解するためのフリガナや、胸に抱いた想いを相手に伝えるためにと、考え出されたものでした。
 特にひらがなは、想いを相手に伝えるために、当時の女性貴族が発祥したとのこと。これほど人の感情の機微を表すのに、適した言語もありませんね。

 最近は、地頭力を求めるバラエティーも増えてきていますが、心や地頭力フェルミ推定を鍛えるため…また、考えるようになるきっかけになってくれることを、願っています。


 こちらの記事は、以下のURLから、執筆動画を視聴可能です。

https://youtu.be/K9sx2kTDjaQ

どんなイラストからでも情報を追加していくと、物語が生まれていく。

 イラストの五感の情報を追加して執筆していくと、それはまるで読者が実際にその体に触れているような気分になります。そこで、今回は……

「体験の‘共有’」

 についてのお話です。

 


視覚から得た情報を言葉に。

 私は、ほぼ毎週のようにpixivにお題箱に寄せられた、官能的な小説を執筆してます。それは、私の日常のようになり、今では当たり前のことになっています。
 例えば、これからの時期は、紅葉が始まり紅葉狩りの季節に移り変わっていきます。その紅葉した木々の表現として、よく使われるのが‘萌えるような紅葉’とよく使われます。

 ‘燃える’ではなく‘萌える’と書かれる紅葉の状況は‘萌える’の方が正解で‘燃える’の方が誤字ということにます。実際に‘燃えている’わけではないですからね。
 考え方を変え、どうして‘もえる’と表現するのがというと、まるで‘炎で燃えているように’赤々と紅葉しているという‘比喩’になります。そのような紅葉を見たことで、心の奥底から豊かな気持ちになって‘萌える’という感情が正解ということになります。まぁ、キャンプなどをすれば、萌える紅葉を見ながら、焚火を燃やすという状況になりますが……
 単純な言葉遊びの‘萌え’と‘燃え’。物理的にもえる‘燃え’と心理的にもえあがる‘萌え’の違いは実に複雑で、新芽が芽生えたことで感じる‘萌え’ですが、その新芽を収穫して、調理するとなると‘燃え’になってしまうという。言葉遊びが出来上がります。

 そんな‘もえ’という言葉だけでも、いろいろなシーンが想像できてしまう日本語は、世界的にも難しい言語と言われ、今の私ですら間違えるくらいですから。よほどです。(執筆動画ではがっつり間違ってました。)
 そんな日本語に興味を抱き、日本語を学ぶ人も増えてきています。その中にも、私が先ほどしたように‘比喩表現’を日本語で行うと、より深みが増します。意味やその色合いまで、一文に含まれて単なる数文字の羅列だというのに、その言葉の節々からは、情景が生まれてくるのです。

 作者はどのような環境で、どのようなシーンを想像して執筆しているのだろうかと、国語の授業で習ったあの頃が懐かしいです。私を担当してくれた国語の教師は、こんなことを言ってくれました。

 「感情は、言葉の節々に宿る」と。

 流し読みをしてしまえば、単純な文字列で終わってしまいますが、その言葉の節々からは、筆者の感情が垣間見れます。また、筆者がこのキャラクターにどんな感情を抱いているのかも、伝わってくるような気がします。
 それは‘心の受け皿’を必要とするものなのかもしれません。しかし、どのような重いでキャラが動いているのかを、読者が読み解ければよりその作品を深く知れることになります。

視覚から文字を。なら、文字から視覚も?

 何気なく毎週のように更新しているノベルティーですが、そのすべてを文字からシーンを思い浮かべるようにして、執筆しています。
 すべての作家が同じようにしているとは限りませんが、少なくても私はこのように、脳裏で映像を思い浮かべて、それを文字に起こしています。それはもう、まるでアニメーションの文字起こしのように……

 これは、官能小説ならではの執筆方式なのかもしれませんが、そのシーンの調度品や、キャラクターが目にするものや、空気感。肌に触れる感覚そのすべてが、映像として浮かび上がってきます。
 キャラが感じた部屋の調度品の感覚。何気ない木製の調度品に触れただけでも、その質感はキャラクターも感じているはずです。なら、それを言葉に踏襲しないのは不自然になってきます。
 まぁ、あまり長編になっても仕方ないので、割愛をする場合もありますが…それ以外は、おおむね感じたであろうものを、そのまま文字に起こします。そうすることで、キャラの感情や心の機微を描けるようになってくるのです。

 どうして私がこのようなことをできるようになったのか。それは、発想の転換です。ただ、発想を転換するのではなく、あるコツがあります。それが、これ。

 ‘あの作家さんができるんだから、自分もできるよね?’

 そう。単純なその言葉だけで、私はここまでたどり着きました。単純な発想転換をするだけで、物事は180度変わります。それまで、欠点のようにしか見えていなかったものが、発想を変えると一気に魅力へと発展していきます。
 世の中には、どうしても天才肌と呼ばれる人は、当然います。なんでもそつなくこなしてしまい、成績も優秀。そんな人はザラにいます。

 そんな中で、もがきあがく結果、丸くなってしまうのです。では、天才の人は何もしていないのか? そんなことはありません。
 まして、天才肌の人が普通にやっていることを、自分でもやってみることで、すべてが変わります。

天才もいるけど、秀才になることもできる。

 天才は、もともと文武両道だったり、世渡り上手な未来を紡ぎだします。そのため、秀才や凡人の人には、とうてい届かない未来が待っています。
 そのなかでも、凡人は秀才に秀才はより天才に近づいていくことができます。

 まずは、積み木の開始です。目標ははるか上なのですから、ゆっくりと足場を固めましょう。秀才になるための扉は、意外とすぐそばに用意されています。
 それを一つずつ積み上げてきた私が、お送りする。普段話でした。ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ

 

こちらの記事は、youtubeチャンネル。結城里音で執筆動画としてアップロードされます。以下のURLからアクセス可能ですので、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ

https://youtu.be/kJRg66EIOnA

作りこまれたキャラだからこそ、執筆もはかどる。

 キャラクターの設定が重要とは聞くけれど、その重要度はそんなに語られていません。そこで今日は……

『作りこんだだけ、キャラは歩き出す。』

 そんな話。

 


一言でキャラを作るといっても、作りこみが重要となってくる。

 世界観や時代背景を考慮したうえで作られるキャラクター。それは、読者が感情移入しやすいように、個性豊かなキャラクターが多く生み出されますが、その一つ一つが多くの要素が盛り込まれています。
 単純な長所と短所だけではなく、過去の出来事によって抱え込んでしまったトラウマや、過去の出来事の影響で口調が変わってしまったりと、キャラクターには過去があることで、人間味が増すことになります。

 そんな複合的要因から組み上げられるキャラクターは、一朝一夕にこう作ればいいというレシピがないのも難点で、より深く掘り下げれば人間味は増しますが、読者からすれば難解すぎるキャラになってしまいかねません。
 一言で‘作りこむ’といっても、やはり限度があります。用法容量を守って、適宜使わないと、欠点も萌え要素として生きてきません。作りこみの内容が充実してくることで、発展させたショートストーリーも書きやすくなり、物語も派生しやすくなります。


長所があるのだから、短所もきっとある。

 少し前にはチート級の能力を持った主人公が流行った時期もありました。異世界転生というやつですね。そんな流行も、うつせみに合わせて流れていくもの。チート級の能力は魅力ではありますが、それだけでは読者は離れてしまうもの。
 チート級の能力があるんだもの、チート級の欠点があってもいいようなものです。ツンにはデレがあるように、ツンツンとしたムチの部分があったうえで、デレのアメの部分が際立ちます。

 ただ、これには、欠点もあり。あまり極端すぎると、どんどんマニア向けになってしまうのです。まぁ。そういうのが好きという人もいますが……
 コロコロと変わる世の中でも、ツンとデレは変わらず需要があるようで、根強い人気があります。特に、完璧女子の見た目をしているのに、趣味嗜好が致命的だったりと、萌え要素となり人気を博すのは知られているところですね。

 

そんな、ツンとデレのあるキャラにも、ほかのキャラ同様‘過去がある’

 長所と短所は、誰しもが持っているもので、それをキャラクターに踏襲することで、人間味のあふれるキャラクターに仕上がります。しかし、それだけでは単なる薄っぺらいキャラになってしまうのです。
 であれば、何が必要なのか。それは‘過去’です。
 未来を生きるキャラクター達には、当然のように過去が存在します。過去があるからこそ、今のキャラクタ―があるのですから、そのキャラクター達になるまでには、多くのことを経験したはずです。

 そこで得た知識を踏まえて、今のキャラクターがあるのだとすれば、そのキャラの昔にはこんな苦労があったのかと、掘り下げることも可能です。
 それは、キャラクターを語るうえで重要なものとなり、その過去があることで、口調が変わったり、呼称や呼び方すら変わってしまいます。
 そうして作りこまれたキャラクターは、より魅力的に見え、読者のファンもつくことが間違いなしです。

 また、ショートストーリーを書く私としても、より掘り下げることができるために、楽しんで執筆することができ、必然的に読者を喜ばせるという答えを紡ぎだします。
 より、作家が楽しく執筆し、一人でも多くの読者の心をほっこりとさせたいと思う、私なのでした……

こちらの記事は、以下のリンクから執筆動画として視聴可能です。まぁ。マニア向けですが、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ

https://youtu.be/AMFGWoDX_Mk

距離も温度差も基本は同じもの。

 質問箱に寄せられた内容から紐解く、好意で感じる距離と温度差は表裏一体で誰しもが通る道。

『温度差と距離は、埋めるものではなく、埋まるもの』

 今日はそんなお話。

 


好きな人も好きになるまでは他人。

 どこからが他人じゃなくなるのかはさておいて、何かに一心不乱にまじめになる人の横顔が好きで、憧れてることは多々あります。それは、好意となり、彼や彼女に対する情報を集めたくなります。
 それまで、そんなに意識していなかった人でも、ある日。ふとした瞬間に意識をし始めることもあります。それは、最初こそ単純なきっかけだったとしても、いつしか、他人ではなくなっていきます。
 より興味を持つことで、心理的な距離が縮まり、心同士の距離は縮んでいきます。それは恋愛の過程のひとつで、同性でも起こるものです。同性の場合は、お遊び程度になってしまうこともありますが、それは、お互いを満たすために距離を縮めようとします。

『人は一人では生きられません』

 よく、こんな言葉を聞くことがあるでしょう。一人暮らしをしたとしても、どこか人肌を恋しい時期がやってきます。常に気を張っていては、休まる場所がありませんから、身を任せられる温かな場所を求めてしまうものです。

 

より‘距離’を縮めると、温度差も縮まる。

 不思議なもので、相手に寄り添おうと距離を縮めると、必然的に相手との温度差が埋まっていきます。物理的な距離と心理的な距離は、埋められないものもありますが、それ以外は容易に埋めることができます。
 最初こそ、単純な興味で寄り添ったとしても、それが続いていくうちに、それが心地よい温かさになり、心の片隅にほっこりとした空間を残します。それが新たに同じ人を求めるようになっていくのが、恋の始まりです。
 自然と視線で追いかけるようになり、どんなことをしているんだろうと。興味が湧いていきますが、それでもまだ温度差が感じることも…

 であれば、どんな風に温度差を縮めればいいのか。
 答えはすでに用意されています。今まで以上に寄り添えばいいのです。肉体的に難しい野であれば、心理的に言葉だけでも寄り添うことで、その温度差を埋めるには十分すぎるかもしれません。
 温度差を感じない人なんていません。そうそうね。その温度差を感じることで、自分とは違った感覚を、相手が持っていることを知れることは、かえって良いことなのかもしれません。
 今が安定してしまえば、変えていくのには苦しみを伴います。そのため、安定すればするほどに、変化を拒絶したくなるのもわかります。それでも、大きく変化するのではなく、ゆっくりと変化をして寄り添っていくようにすれば、きっとその変化も、自分で受け入れれるようになります。

 

出会いは、温度差の塊。

 たとえ、温度差があったとしても、最初の出会いは温度差そのものです。自分とは違う経験を積んできた相手に、温度差を感じているのですから。これは相手側から見ても同じです。
 相手からしても、温度差を感じていることで、とっつきにくいかな?と思ってしまったりと、いろいろな考えが脳裏をよぎります。
 それでも、寄り添っていくの普通の日常です。ならば、心も寄り添い温度差を埋めていくのもいいかもしれません。
 ほっこりとした温かな感情は、とても心地よく、寄り添うのが好きになること間違いなしです。

 温かな物語を作るのが好きな主が、温度差について説明しました。

 こちらの記事は、以下のURLで執筆動画として同時公開されます。
(`・ω・´)ゞ
https://youtu.be/cjtMISPRFx8