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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

言葉の温度。抑揚と感情の組み合わせ 2020.09.03

 単純な言葉を介すだけ。でもそれは、感情も相手に伝わる。

“言葉に宿る、温度や感情は、相手を動かす。”

 そんな話。

 

 

実際にあったかいの?

 対面して応対をする場合は、相手の表情からどんな人なのか、いろいろ察することができます。それは、視力を使った防衛に近い能力の一つですが、その実。相手を知るための会話のカギでもあったりします。
 対面して話すことで、相手の第一印象から、ある程度その人が経験してきたであろう内容が、その仕草として現れるためより相手の気持ちを察することができるようになります。学生のころに老人ホームに慰問に行ったりすると、このスキルを養うきっかけをつかむことはできますが、みなが使えるようになるとは限りません。

 相手の気持ちを感じとり、相手の気持ちに寄り添うのは、なかなか骨が折れる大変さです。それは社会人になってからでも同じで、多くの人がいる中。多くの個性が入り混じる中で、寄り添えることなんてなかなかありません。
 それは、人口の多い都市圏なら、なおのことその日を過ごすために必死に暮らしているのですから、寄り添うなんてやっていたら、寝首をかかれてしまうかもしれません。すべてがそのような人とは言いませんが、えてして寄り添おうとする場合は、相手を受け入れなければいけないので、だまされやすくなってしまいます。

だまし、だまされても……

 “だまされる方が悪い”

 なんて正当化してしまう人もいますが、だまして奪ったそれ。満足ですか?という疑問が生まれます。だまして奪ったという、ものが残ります。
 まぁ、だまされる方が悪いという思考に至るまでにはいろいろな理由がありますし、以前にだまされたことがあって、そのことを言われ、だましていくという負の連鎖に陥った人かもしれません。

 まして、だまして得たもので生きてるという人もいますが、映画にもなったように、すべてがウソで塗り固められたようになってしまいかねません。
 それは実に悲しいことなのかもしれませんが、その人にとっては、それが精いっぱいの生活なのかもしれません。

そんな人との会話も“抑揚”

 人との会話をする中で、抑揚は重要となってきます。この抑揚をうまく感じ取ることで、相手の言葉の後に感情が乗ることになります。
 それは何気ない理由で、無駄話だとしても、そこには感情が乗り相手を動かすことになります。

 それは音の波となって相手に伝わり、感情移入という結果を導き、小説などのキャラクターへ感情移入することになります。その感情は言葉に乗り、相手を動かすことになるのです。
 そのエッセンスが抑揚となっています。声の抑揚に感情が乗り、媚を売るのも相手との交渉をするのも、すべてが言葉から相手の感情を読み取ることになります。

無意識下で行われる感情の読み取り。

 初対面なら、なおのこと。相手が自分に害があるのかないのか、利益をもたらしてくれるのかを、無意識下でやってのけてしまいます。あまりに無意識下でやっているので、気にする方が難しいかもしれません。
 しかし、意識して考えると、どうしてそのように考えてしまうのか、わかるようになります。それは、瞑想によるものなのかもしれません。自分の内面での選択を自分が再確認できるため、再認識することになります。

 それが個性となり、その人を作っていくことになります。それは、環境により変化が加わり多種多様な性格を形成していくことになります。それは、無意識下で行われ、選択し、未来を創っていくことになります。
 それは、誰しもが同じことをして、今日より明日と作っていくことになります。その中でも、言葉の温度は重要となってきます。

 それは、電話口で話す相手の言葉。その一つ一つが、相手の感情へと影響を与え、この人がどう思っているのかが、相手に伝わり相手の行動へとつながります。それは、人々を伝播し社会生活をなすことになります。

言葉に宿る感情と、それに伴う“温度”

 言葉には相手へと伝えたい思いが含まれ、それには相手のやさしさや、悲しみ。そのすべてが言葉に乗ることになります。
 それを無意識下で取捨選択し、相手に寄り添うことができるようになります。それを、認識したうえで使えると、なおのこと寄り添うことができるようになります。より深く相手のことを知り、過去に何があったのかを言葉から読み取ることができるようになり、より相手を近くに感じるようになります。

 その相手が経験したことから学び、自分にも生かせるようになると、より人と話すことが楽しくなってきます。自分では経験できないことを、相手は経験して巡り合ったのですから、より多くのことを話して、経験を得ることで自分に置き換えることになります。
 誰かと話すことが楽しくなれば、自分に得となる内容とポロっと出会えるかもしれません。

 その経験は、あなたが生きてきた中では経験できないことが、その言葉の中に含まれています。それは、相手の生きてきた中での言葉が含まれているため、多くのことを学ぶことができます。
 おじいちゃんだからと、嫌煙するのではなく、昔話を楽しむというのもありですね。