どんなイラストからでも情報を追加していくと、物語が生まれていく。
イラストの五感の情報を追加して執筆していくと、それはまるで読者が実際にその体に触れているような気分になります。そこで、今回は……
「体験の‘共有’」
についてのお話です。
視覚から得た情報を言葉に。
私は、ほぼ毎週のようにpixivにお題箱に寄せられた、官能的な小説を執筆してます。それは、私の日常のようになり、今では当たり前のことになっています。
例えば、これからの時期は、紅葉が始まり紅葉狩りの季節に移り変わっていきます。その紅葉した木々の表現として、よく使われるのが‘萌えるような紅葉’とよく使われます。
‘燃える’ではなく‘萌える’と書かれる紅葉の状況は‘萌える’の方が正解で‘燃える’の方が誤字ということにます。実際に‘燃えている’わけではないですからね。
考え方を変え、どうして‘もえる’と表現するのがというと、まるで‘炎で燃えているように’赤々と紅葉しているという‘比喩’になります。そのような紅葉を見たことで、心の奥底から豊かな気持ちになって‘萌える’という感情が正解ということになります。まぁ、キャンプなどをすれば、萌える紅葉を見ながら、焚火を燃やすという状況になりますが……
単純な言葉遊びの‘萌え’と‘燃え’。物理的にもえる‘燃え’と心理的にもえあがる‘萌え’の違いは実に複雑で、新芽が芽生えたことで感じる‘萌え’ですが、その新芽を収穫して、調理するとなると‘燃え’になってしまうという。言葉遊びが出来上がります。
そんな‘もえ’という言葉だけでも、いろいろなシーンが想像できてしまう日本語は、世界的にも難しい言語と言われ、今の私ですら間違えるくらいですから。よほどです。(執筆動画ではがっつり間違ってました。)
そんな日本語に興味を抱き、日本語を学ぶ人も増えてきています。その中にも、私が先ほどしたように‘比喩表現’を日本語で行うと、より深みが増します。意味やその色合いまで、一文に含まれて単なる数文字の羅列だというのに、その言葉の節々からは、情景が生まれてくるのです。
作者はどのような環境で、どのようなシーンを想像して執筆しているのだろうかと、国語の授業で習ったあの頃が懐かしいです。私を担当してくれた国語の教師は、こんなことを言ってくれました。
「感情は、言葉の節々に宿る」と。
流し読みをしてしまえば、単純な文字列で終わってしまいますが、その言葉の節々からは、筆者の感情が垣間見れます。また、筆者がこのキャラクターにどんな感情を抱いているのかも、伝わってくるような気がします。
それは‘心の受け皿’を必要とするものなのかもしれません。しかし、どのような重いでキャラが動いているのかを、読者が読み解ければよりその作品を深く知れることになります。
視覚から文字を。なら、文字から視覚も?
何気なく毎週のように更新しているノベルティーですが、そのすべてを文字からシーンを思い浮かべるようにして、執筆しています。
すべての作家が同じようにしているとは限りませんが、少なくても私はこのように、脳裏で映像を思い浮かべて、それを文字に起こしています。それはもう、まるでアニメーションの文字起こしのように……
これは、官能小説ならではの執筆方式なのかもしれませんが、そのシーンの調度品や、キャラクターが目にするものや、空気感。肌に触れる感覚そのすべてが、映像として浮かび上がってきます。
キャラが感じた部屋の調度品の感覚。何気ない木製の調度品に触れただけでも、その質感はキャラクターも感じているはずです。なら、それを言葉に踏襲しないのは不自然になってきます。
まぁ、あまり長編になっても仕方ないので、割愛をする場合もありますが…それ以外は、おおむね感じたであろうものを、そのまま文字に起こします。そうすることで、キャラの感情や心の機微を描けるようになってくるのです。
どうして私がこのようなことをできるようになったのか。それは、発想の転換です。ただ、発想を転換するのではなく、あるコツがあります。それが、これ。
‘あの作家さんができるんだから、自分もできるよね?’
そう。単純なその言葉だけで、私はここまでたどり着きました。単純な発想転換をするだけで、物事は180度変わります。それまで、欠点のようにしか見えていなかったものが、発想を変えると一気に魅力へと発展していきます。
世の中には、どうしても天才肌と呼ばれる人は、当然います。なんでもそつなくこなしてしまい、成績も優秀。そんな人はザラにいます。
そんな中で、もがきあがく結果、丸くなってしまうのです。では、天才の人は何もしていないのか? そんなことはありません。
まして、天才肌の人が普通にやっていることを、自分でもやってみることで、すべてが変わります。
天才もいるけど、秀才になることもできる。
天才は、もともと文武両道だったり、世渡り上手な未来を紡ぎだします。そのため、秀才や凡人の人には、とうてい届かない未来が待っています。
そのなかでも、凡人は秀才に秀才はより天才に近づいていくことができます。
まずは、積み木の開始です。目標ははるか上なのですから、ゆっくりと足場を固めましょう。秀才になるための扉は、意外とすぐそばに用意されています。
それを一つずつ積み上げてきた私が、お送りする。普段話でした。ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ
こちらの記事は、youtubeチャンネル。結城里音で執筆動画としてアップロードされます。以下のURLからアクセス可能ですので、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ