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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

多くの情報があふれる中で、これという答えはない。

 普段。何気なく生活を送っていても、日々。新たな事柄に触れて、日進月歩で新たな情報が生まれる中で、新しいことを追いかけることも重要かもしれません。しかし、その中には、いずれこの結果にたどり着くことがあるかもしれません。そこで……

「どれが正解。ということはない。」

 そんな話。をお送りします。

 

 

追いかけても、次から次へと新たなものが生まれ、自分も変わっていくもの…

 日々、いろんな事柄が生まれては消えたり、残ったりしていくものの、いずれ人々の記憶からは消え去られてしまいます。それでも、どこかのだれかの‘記憶’にとどめてもらえれば、この執筆動画もブログ執筆も、誰かのためになっているんだろうな。と思えることができます。
 日々、新たなものが生まれ、目まぐるしく変わっていく世の中で、その変わっていく事柄を追いかけるのも、時には大変になるもの。数年前に流行ったものも、今はもう過去のこと。中には数か月流行った程度で、なくなってしまったものすらあります。
 そんな物や事柄に関しては‘レトロ’や‘中古’として出回ることになり、私のように‘レトロ’が好きな人の元へと回り巡っていくことになります。はたまた、そこにたどり着けないものは、どこかの倉庫で眠るか、リサイクルの道が待っています。
 単純な商品に関しても、このようなことが言えますが、これは私生活でも十分に当てはまります。


youtubeの執筆動画や、ハウツーものは特に……

 決してyoutubeの執筆動画やハウツーものを‘否定’するわけでもなく、それでいて‘肯定’するわけでもありません。私は、どちらかというと‘中立’の立場でいたいと考えるので……
 そんな中立の視点から見ると、いろいろなものが見えてきます。一つのハウツーの成功体験は、とてもいいものです。それを動画にして、公開するのもユーザーに任されています。
 こうしたからできたんだ。と、やり方を動画としてyoutubeに上げることになりますが、それはいいことでもあります。しかし、私の視点から見ると、それはあくまでもその事柄に対しての‘一方向からの答え’にしかすぎません。
 それは、‘一人の答えは、その他大勢の答えには、ならない’からです。確かに、その人にとっては、それがしっくり着ているのですし、新たに始める人ならそれがいいかもしれません。しかし、それはある一定の結果しか生みません。それが……

 ‘一過性の答え’

 ということになってしまいます。
 一過性としてスタートダッシュには成功するでしょう。でも、そうして獲得したユーザーはほぼ‘同じもの’を求めるので、常に同じものを‘企画する’必要にかられます。そして、それが自分に合っていない場合は、途端に尻つぼみになってしまうのです。
 この一過性がまずいということではなく、一過性をそれだけに終わらせないことが重要となってきます。まして、一つの答えを続けていき、ほかのユーザーが真似をしたとすれば、youtubeで表示されるのは、コピーコンテンツだらけになってしまいます。
 あの有名な、フェルミ研究所も、今では真似をされて多くの動画の中に埋もれてしまっています。よりキャッチ―な人目を引くサムネイルにおされて、ベルマーク通知がなされていない場合は、その動画の海・ネットの海に埋もれていくことになります。
 そして、まねをされた動画は、新たな動画を生み、二番煎じ三番煎じと、より薄くペラッペラの内容になってしまいかねませんし、そうなる未来をはらんでいます。しかも、そうして獲得したユーザーは、コンテンツを変えた瞬間から離れていきます。何せ、そのチャンネルに求めているものが違いますから……

 私のように独特なもの、ほかにはないもの。そして常に変わっていくものとして、youtube動画を始めていくと、一過性のユーザーではない人がじわりじわりと増えていくことになります。一過性で伸びるのは決して悪いことではありません。それも重要なファクターのひとつではあります。
 しかし、一過性で出会ったユーザーは、離れるのも早いユーザーとなってしまうのです。そして、そこからじわりじわり自分の味を出していったとしても、違う未来が待っています。
 「あれっ?このチャンネルこんなだった?」
 となってしまう可能性すらはらんでいます。それは視聴者の行動へとつながり、一人。また一人と離れていってしまう流れを生むのです。これが自然の摂理として息づいています。
 ならば、一過性で獲得するのは良しとしたとしても、その一過性の‘ジャンル’はこだわった方がいいのが見えてきます。


ふたつの事柄を並行的に……

 人気がある動画や内容というのはある共通点があります。人気実況者がしたから、今これが主流だから…それも正解のひとつです。それに追従して、プレイ動画を上げるのも、正解のひとつです。
 しかし、それは真似っこに近くなってしまいます。まぁ、それでもいいという人も、ユーザーも当然いますが……
 人とというのは、1+1を4でも6にでもできる可能性をはらんでいるのです。なら、まねっこも重要ですが、自分の‘味’を出してもいいのです。たとえ、同じコンテンツだとしても、自分の好きを追求してその動画に寄せていくというのも、方法のひとつです。そして、新たなるジャンルを構築していくことで、固定ユーザーが付くことになります。
 ただし、これにはあることが必要になってくるのです。それが……

 ‘心と体の成長。そして時間’

 この‘3つ’のファクターが重要になってきます。持久力をもって続けていく体力と、マイナスをプラスに転化できる心。そしてそれを許容できるだけの時間と器が……
 と、こう並べてしまうと、一朝一夕に行くものではないのが、明らかになってしまいます。しかし、これはなんにでも当てはまることで、誰にでも用意されているものです。

 この‘思いを抱いて’未来を描くことと、思いを‘描かずに’未来を作っていくこととでは、雲泥の差が待ち受けています。新たなことを吸収して、新たな未来を作るのか、これがいいんだという思いのまま、安定を求めてしまうのか。それだけでも変わっていくものです。
 思いが人を形を成し、未来を作っていくのなら、今日より明日。というふうに未来をどうありたいかを思いながら、失敗しつつもトライしていくことが重要なのかもしれません。


 こちらの記事は下のURLから執筆動画として公開しています。そこでは、私の執筆中の‘ありのまま’の動画となっており、執筆環境や時間を共有できます(`・ω・´)ゞ

https://youtu.be/KyYBI2YQQQk


 もし良ければ、そちらでpixivに公開しているものの執筆動画も上げているので、そちらもよろしくお願いします。(`・ω・´)ゞ

結城里音 - YouTube