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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

単純な“スキンシップ”でも…… 2020.08.28

 握手に頭をなでなで。単純なスキンシップ。それだけ?

“単に触れることでも心は温かくなる”

 そんな話。

 

 

最近は注意すること。

 子供がいる方であれば……ママ~やパパ~でスキンシップを取りたくなってしまいます。わが子は可愛く愛でたい。愛おしいもの。ただ、今はいろいろと厄介のことになり始めています。
 それでも、子供とスキンシップがなくなることはありません。こと、手洗いに消毒と、学生の頃にやったあの頃を思い出し、息子や娘と一緒にやるという手もいい教育の一環になっています。
 そうして、学校以外の家庭での教育にもなってきます。そうして、両親と子供のスキンシップが増えていきます。

 そんな中でも、スキンシップを経ることで、子供の心も成長していきます。両親の愛情を感じ、愛されていることを認識して、その上で褒められたり叱られたりしながら大人として成長していく土壌となります。
 そして、意外と重要になってくるのが、この時期に親にいかに愛情を注がれたのかが、大人になってからの性格にも関係してきます。そのため、より理知的で知的な子になるには、それだけでは足りないかもしれませんが……

感染が気になるけど……

 今はいろいろとナイーブな時期でもあります。親としてもわが子を病気に晒すわけにはいきませんし。
 しかし、一方で、子供の時だからこそ、免疫を得るということもあります。

 “獲得免疫”

 そう呼ばれる免疫ですが、色々と憶測が飛び交い、実際はどうなのかわかりませんが、おおむね。獲得免疫というのは存在します。ウィルスや病原菌に感染することで、そのウィルスや病原菌に対して抵抗力を持つことになります。
 それは、普段の生活から無意識下で行われていることで、免疫がその要を担っています。こうして普段話を執筆しているときも、皮膚の表面では常在菌が体内へと入りたくて仕方ないのですから。

 でも、よく考えると、見方も変わってきます。

 それは、常在菌もウィルスも“人がいなければ増えることができない”ということです。これは、色々な研究がなされ、新たな発見もいろいろ成されていて、多くの研究者が研究を進めている分野でもあります。
 そんなウィルスや菌たちは、人がいなければ、個体数を増やすことができないのです。人の体は日々細胞分裂をして、新たな細胞を作り続けています。それは、おぎゃーと生まれてから亡くなるまで。無意識下で行われて100年以上も続くシステムです。
 中には、臓器などの替えが効かないものも存在しますが、それ以外は定期的に生まれ変わっています。そうすることで、細胞が損傷したとしても生命を危機に及ぼさないようにしています。

 実にできたシステムで、体内60兆個もの細胞がそれぞれ役割を果たし、人という形を形成しています。それは、この記事を書いている私も同じです。しかも、それは私が思いを馳せたりしなくとも、“自動で”やってくれるのですから、よくできたシステムです。
 しかし、そんなシステムを維持するにも、複数の事柄が絡んでいます。あなたという人を構成する内容として、体はもちろんのこと内面としての“心”の存在もあります。
 それは、誰かを愛するため。種を次の世代に引き継いでいくため。父親として母親として、それぞれの役割を果たしながら子を育てていくことになります。それが愛情表現になります。

愛情表現。希薄になったら?

 最近では、あえてシングルマザーを選ぶ人も増えてしますが、それぞれ家庭環境によって、どうしてもシングルマザーでなければいけない場合も、当然あります。
 反対もしかりです。死別や離婚などによって片親になってしまった親は、こうならないようにと、子供へその知識を授けることになります。決して親の失敗を引き継いでは欲しくないものですし。

 “親の背中を見て子は育つ”

 とはよく言ったもので、覚えなくてもいいところを覚えたりするもの。なにせ、生まれてから最初に触れる大人が“両親”なのですから、その両親の行動を見様見真似でやってみることになります。
 それがいいことでもわるいことでも、とりあえず子供はまねをします。その結果、体調を崩したりして“このことはダメなんだ”と新たに認識することにもなります。
 知識としての獲得記憶といっても過言ではないこれは、失敗を経験することで得る心の成長でもあり、両親が子供の時には失敗だったことでも、その子供が親となり子に伝えるときにはもう、失敗ではなくなっているかもしれません。

 “かわいい子には旅をさせよ”

 とはよく言ったもので、よほど命の危険があること以外は、子供が親よりもかかしこくなることはあり得ます。何せ、両親が子供の頃よりは圧倒的に得られる知識が増えているのですから、それに応じて成長も促されることになります。
 そのため、親の変化も求められることになります。それが“寛容性”です。ここで、親という単語を幾度となく使っていますが、その親も中身が成長しなければ、ある意味では“子供が親を演じている”とも言えてしまいます。

 体の成長に合わせ、周囲からは大人として扱われるようになりますが、その成長に合わせ、心が成長しないといろいろと厄介なことになります。
 それでも、大人として多くのことを経験し、たとえ子供の延長線上だとしても、大人として社会生活を維持してきたのには変わりありません。
 では何が違うのか。それが、自分よりも賢い年下を“認める”ということにほかなりません。それは、わが子とて同様です。そんな中でも切っても切り離せないのが、スキンシップになってしまうのです。

他人同士の集合体。群れと同じ。

 多くの社会形態を維持するために、心の成長の有無に限らず、大人として社会に飛び出していくことになります。
 小学6年、中学3年、高校3年、大学4年と義務教育だけでも12年間を要して社会形態を維持するための子を育てることになります。ここに大学の4年を含めると、より専門的な知識を得ることになります。

 それでも、社会を維持するために大人として活動することになる人は、ある意味では他人同士の集合体でしかありません。動物で言えば群れと同じとも言えます。ただ、より高度な群れで社会活動の屋台骨を支える群れですが。
 そんな人たちも、ロボットではなく“人”なのですから、疲れもしますし体調も崩します。それに、自宅に帰って家族がいるのなら、立派な父親や母親でもあります。大人として、社会を維持するために重要なポストになっているかもしれません。

 それは、子供にも誇れることで、自慢してもいいのです。誰かが誰かの生活を支えているのですから。バイトだからと卑下することなく、自慢していいのです。幸いなことに、この経験は高校生の時に知ることができます。
 高校生のバイトも、だれかを支えることにつながります。無我夢中で意識はできないでしょうが、その報酬として初めてお小遣い以外のお金を手に入れることになります。
 それが嬉しく、自分の好きなものを買うことができ、大人の仲間入りをした気分になることができます。現に、大人の仲間入りですが。日本における正式な大人と呼べるのが20歳という形ですが……

 血気多感な恋愛を経て、大人のように稼げるようになる。失恋などがなければしようと思えば20代で結婚することは可能です。
 まぁ、結婚できない人もいますが(主もw)。とまぁ、社会生活を維持していくうえで重要なスキンシップ。そのスキンシップは形を変え、社会生活を維持するためにも重要な事柄となっています。

それでも、もう一つ便利な“言葉”を使っている。

 “触れる”ことだけがスキンシップではありません。言葉を介して相手の感情を汲み取ったり、相手に寄り添うことも可能です。本来備わったスキルのひとつで、行間を詠むともいわれますが、そこまで難しいことではありません。単純な話です……

 “自分がされて、嫌なことは相手にはしない”

 これを大前提として、自分がされて嫌なことは相手も嫌ということが分かるようになります。ただ、このグローバル社会。何が相手を不快にするかわかりません。ふとしたことで相手を怒らせてしまうこともあります。
 そんなときは、こちらも当たり散らすのではなく、もっと理知的に行動しましょう。それが、できる人なのですから。それは……

 “謝ること”

 自分が悪くないかもしれないのに?
 とそう思うでしょうが、自分が悪くないと思っていたとしても、相手にはそのことが気に食わないということが多々あります。そしてここからが重要です。

 “こう考えるんだ”

 そう、相手を理解してあげるということです。
 相手はそう考えて、自分が取った行為が気に食わず、怒り出したということ。日々多くの人に触れる人であれば、大変かもしれません。しかし、怒ってきた人には怒ってきたなりの理由があります……(一部の好戦的な性格をのぞいてw)
 ただ、そういう人の見分けがつきます。恰好の絡む相手を探すのですから目つきが違います。真に怒っている場合だと、純粋な怒り顔になりますが、絡む相手を探しているだけの場合は、どこかにほころびが生まれます。そこを見抜くのに使うのが、先ほど説明した……

 “相手を理解する”

 ということにつながります。
 単純に絡む相手を探しているだけなら、やり取りが支離滅裂になります。ある事柄が気に食わずに怒っているのなら、改善してほしいために腹を立てているのですから、目的がはっきりしています。
 しかし、単純な絡む相手の目的は、店員が困ること。困らせることで自分の利益になるものを得ることが主目的になるので、必然的にキレるという行為に繋がります。そんな相手への対抗策は、欲求を素直に発言することですね。
 相手は謝らせて優越感を得たり、自分が得をしたいのですから、そこを言ってしまえばいいのです。予想外の行動は相手を混乱させることにつながります。こういえば、相手が困るだろうと考え、優越感に浸り快感を味わいたいのですから、イレギュラーな行動を取られると一気に憔悴してしまいます。

 とまぁ、このすべてが応用できるとも限りませんが、可能性のひとつです。臨機応変に使うことで、より相手に会った“スキンシップ”の取り方ができるようになります。応用に次ぐ応用で、事柄を観察した時に見えてくるものはまた別なのかもしれませんね。