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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

時の流れと、思い出 2020.08.30

 一日一日、毎日を当たり前に暮らす。それが普通で当たり前。

“日々過ごすだけで、寿命に近づいている……”

 そんな話。

 

 

おぎゃーと生まれてから続く時間。

 日々、何気なく過ごしている時間。1日24時間で、夜になったら眠り明日に備える。それは赤子からお年寄りに至るまで、同じ時間が流れます。同居する家族がいれば、同じ時間を共有することになります。
 まして、社会人に進学するまでは、ほぼ親と同じ時間を共有することが多くなります。中には、共働きでほとんど共有しない場合もありますが、おおむね両親と同じ時間を共有することになります。

 それは、年齢に応じて、仕事や作業の内容に応じて、体感時間はとても短く感じることになります。それは、血気多感な年ごろでも、社会人でもはたまた、お年寄りでも。どんな人にも平等に訪れる時間の流れ。
 まして、楽しい事柄をしている時は、なおのこと短く感じます。それが新しい事柄に限らず、“楽しい”と思えることは、時間も短くより記憶に鮮明に残るようになります。

血気多感な時期は、特に一日が短い。

 初めて親以外の異性に出会い、初恋を経験する血気多感な時代は、より一日が短く感じます。それは、新たな個性との出会いでもあり、自分の想いとは異なる考えに出会うことで、困惑したり、迷ったりと心が盛んに育つ時期でもあります。
 学校のテストのように、日々新たなことに触れ、その上で体が日進月歩で成長する時期でもあります。

 体の変化に戸惑いつつも、優秀な成績を収めれば、両親から褒められたり、告白されたりと思春期特有の時間を過ごすことになります。それは、この時しか経験できない内容でもあります。

社会人になり、学校では学ばなかったことをさらに吸収。

 社会人になり、教員となれば、あの頃の自分のような生徒を、今度は講師や担任として指導することになります。それは、あの頃のような生徒に自分の経験を引き継ぐようなもので、まるで自分の子供に経験を伝えるようなものです。
 それは、社会人にならなければわからない、理不尽なことも理解して受け入れることで、さらに成長していくことになります。

 理不尽に対抗することで、成長しているのか?という疑問もありますが、思春期ほどではないにしろ、成長していることには変わりありません。
 日々訪れる変化に対応しながら、少しずつ心も変わり、社会人になりたての頃よりは、どんどん変わっていきます。

 あの頃には考えなかったことも、大人としての時間を過ごしていくうちに、端的に答えを出せるようになってきます。それは、子が大人となり、親となる過程で、流れる時間も変わってきます。

親になり、子へと知り得た知識を伝える。

 恋愛をして、結婚を経て、子を成すと大人になって得た知識を子供に伝えるものです。まして、自分が経験で得た“失敗”は特にしてほしくないため、強めに子供に伝えることになります。
 特にしてほしくないことは、強めに言うために子供からすれば、がみがみ言われて、嫌な想いしか残りませんが、そのことを知るのは大人になってからになります。

“あの時、父さんが言ってたのはこういうことだったんだ”

 と、大人になってから父の発言が的を射ていたことが分かることも多々あります。子供の時には、単純に迷惑としか考えていなかったことでも、後から答えが見つかることは多々あります。

その全てが、限られた時間があるから。

 ここまで上げてきた事柄すべてが、寿命があるからこそ、子供へと伝えていくことになります。それは、当たり前のことで、脈々と受け継がれてきた事柄です。当たり前すぎて、誰も見てこなかったことですが、その実。確かに引き継いでいく内容でもあります。
 なにも難しいことではありません。普段気にしていないことでも、その実重要な事柄もあります。そんな何気ないことでも、注目すると意外にも深い内容が隠れていることがあるので、注目してみてみるのもありですね。