真実は小説よりも奇なりとは言うけれど…
私の好きな名言の中に『真実は小説よりも奇なり』という言葉がありますが……
‘小説やイラストを書ける人ほど奇だったりするのかな?’
そんな話。
作家の想像力が形作られる小説。
ちなみに、先ほどの名言。「真実は小説よりも奇なり」は、イギリスの詩人の作品。ドン・ジュアンの中の一節で、小説で描かれる内容よりも、真実の方がよほどおかしいことが多いよ。という意味合いですね。
この一節には、いろいろと思いを巡らせることができて、こうして私が執筆していることも、執筆できない人からすれば、すごいことでよっぽど奇な部類に入ります。
人は、基本的に自分にはないものを他者に求めてしまいます。『隣の畑は青く感じる』というやつです。
自分にはないものを相手が持っていることで、相手のものが欲しくなってしまうこと。そして、それを手に入れたら、またほかのものが欲しくなる。という、物欲のカタチをある意味では指しているように感じます。
多くのものを求めて、それが失われるのが嫌と思って初めてしまったのが、大戦です。そういう意味で見ると、強欲なのは人なのかもしれませんね。
作家が経験したことを糧に、想像力を使って創造する。
作家が物語の世界を構築する方法は、調べればあふれるほど取り上げられています。起承転結の物語の書き方に始まり、魅力的なキャラクターの書き方と、調べれば出てこないものがないほどに便利な世の中になりました。
こんな形の物語を書きたいと願い、それに対して必要な情報を集めると、誰でもそれなりのものは作れるようになります。しかし、そこからが大変です。多くの情報を仕入れて、自分で整理し、構築することが必要になってきます。
想像力を駆使して、より魅力的な物語を書くために、日々切磋琢磨することになります。これがいいのか、あれがダメなのかと、自問自答しながら答えを出すことになります。ここで関連してくるのは……
『読まれるためのもの』か『読むためのもの』かで変わってきます。
詳しく言うと、『読まれるもの』は自分以外の他者に読まれるために書くもので、より魅力的にかく必要が生まれます。
一方で、『読むためのもの』は自分個人で楽しむ場合や、そこまでだいらい的に出すものではない場合が、これです。かといって、魅力的にかかないのか?といわれるとそうではありません。
どちらも魅力的に書くのは当然ですが、どうしても作家も人。疲れもします。そのため、尻つぼみしてしまうことも……
読まれるためのものから、読むためのものになってしまったりと、いろいろと存在します。
自在に小説やイラストを書ける人は、書けない人よりも奇だったりする。
話を戻すと、作家やイラストを描く人は、いろいろな場所から知識を経て、自分の頭で考えることをします。それは、色の違う粘土を混ぜ合わせるように、頭の中で、複数の事柄をごちゃまぜにしていくことになります。
そして、そこから新たな形を作ることになります。想像することは簡単だとしても、複数の事柄を混ぜて新たに創造するのは、トレーニングが必要です。それでも、決してできないことではありません。
有名な作家ができるのであれば、それを踏襲すれば自分もできるということです。さすがに有名作家ほどではないにしろ、面白い物語を紡ぐことができるようになります。
そこで新たな香辛料となるのが、日々トライして繰り返していくことです。そして、新たな情報を混ぜ込み、より良いものへと挑戦し続けることになります。
最初は、自分よりもいい作品なんてザラにあります。世間は広いですからね。しかし、ここで挫折するのはもったいないです。いい作品があるということは、いい見本もあるということにつながります。
酸いも甘いも知った、先輩作家が見本を見せてくれているのですから、そこから執筆の仕方を学んだりしない手はありません。その人ならではの執筆の仕方や紡ぎ方が、きっとあるはずです。
そこから自分だけの世界を構築するために、スポンジのように学んでいったもん勝ちです。挫折するのは簡単です。
この執筆動画も、ビュー数は伸びていませんが、続けています。何気にブログの方が影響を受けて伸びたりしますが。これは、執筆している私すらわかりませんからね。
これは、実に楽しいことで、ソーシャルメディアのひとつひとつはとても素晴らしいものですが、それひとつだけで人気になったとしても、そのサービスが終了してしまっては、元もこうもありません。
であるなら、複数のソーシャルメディアを『連携』させたほうがいいと考えてしまいました。
動画に強いyoutube。文章に強いブログ。文章や小説に強いpixivと、一つのサービスだけでなく、横のつながりを持てば、さらに効果は倍増します。三位一体ではないですが、優秀なソーシャルメディアはたくさんあります。
なら、横に連携しない手はないですね。
今日より明日。明日より明後日と、トライをしたい私でした。