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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

あなたの周りに、気が付ける人。いる?

 今日の普段話は『特別編』。つながりが希薄だからこそ増えるもの…

‘些細な変化は、希薄なほど気が付けない’

 そんな話。

 


些細な変化は、背中から。

 最近は、いろいろと悲しいニュースが飛び交っていますが。どうしても、億劫になってしまうことや、抱え込んでしまうことがたくさんあります。日々の喧噪につかれて、心が休まらなくなることはたくさんあるかもしれません。
 それが当たりまえで、続いていく日常なら、悲観してしまう人も多くいると思います。それは、周囲からしたら『この人が?』と驚くような人が、思いのほか抱え込んでいることが多くあります。

 人は相手と接する時、表面を第一に見ることになります。そこから、相手に対しての印象にのっとった、ある種のキャラ付けが行われることになります。
 そのキャラ付けをした貴方は、その印象のままの行動しか見なくなりますし、相手も予想の通りに行動することが増えます。そのため、印象から形作られたキャラは、価値観へと昇華して『この人なら』と固定概念へと成長していくことになります。

 しかし、その実。心の中まで見える人はそんなに数多くいません。まして、些細な変化に気が付くというのは、なかなか難しいことなのかもしれません。しかし、それができる人がいます。
 その人は、良く相手が知らないにもかかわらず、普段の仕草から、その人が落ち目に入っていることや、悩んでいることが分かったりします。メンタリストといえば聞こえはいいですが、それは相手を意図したように動かすものでも、動いてもらうためのものでもありません。

 では何のためのメンタリストなのか。意図した動きにすることで、バラエティー番組などでは取り上げられるようになります。それはまるで、手品のように相手の選んだものを当てていきます。
 これは、単純なことです。『相手の意図を視線・仕草から読み取っている』だけなのです。と、メンタリストの人がやっていることを述べてきましたが、ここに述べたことは、本来。『誰でもできることで、使っていることです』

 しかしそれは、普段の喧噪や希薄な人間関係では『使わない』のです。だからこそ、メンタリストなどがヒューチャーされバラエティーに取り上げられることになります。本来、誰でもができるのに…
 そして、そんなメンタリストはどこを見ているのか、それは目や瞳の動きなどはごく一部です。さらに注視するとより違う見え方がします。それは……

 背中や仕草に出てきます。
 落ち目や袋小路に入ってしまっている人は、心と現実の状態に差が生まれて、乖離状態に陥っています。そのことで、普段の仕草から落ち目に入ってます。と危険信号を周囲に発してしまいます。
 それは、暗にヘルプを出しているようなもので、近所付き合いがあったり、希薄でなければ、気づけることだったりします。しかし、希薄になり始めている世の中で、どうしてもそれに気が付ける人は少なくなっています。

ひとりにひとつ。ひとりに『ふたつ』は無謀…

 youtubeで活動するために、にじさんじなどのキャラを使い、活躍する人が増えています。私もたまに見て癒されることがあります。そんな中で、そのキャラを演じていくことになります。
 私も、結城里音というペンネームとキャラを、演じてはいますが。そこに『乖離』は生まれません。というのも、私は生物学的にいえば男性だとしても、中身的には女性の部類に入ります。中身を踏襲したキャラが結城里音ということになります。

 そして、この『結城里音』というキャラの『結城』という名前は、リアル名を違う文字で当てた、当て字になりますが…
 にじさんじなどでも、素がぽろっと出ちゃって、動画が作られたりしますが、やはり、『中身』と『キャラ』で乖離が生まれてしまい、中身部分がキャラへの影響を与えてしまうことがあります。
 それがより一層、ややこしいことへとつながります。何せ、ひとりにひとつでひとりにふたつは無理なのですから。

よく、〇〇相談所などが開設されるけど…

 よく、いじめなどで相談所が開設されたりしますが、そこへの問い合わせにも、『できる人』と『できない人』が当然います。できる人には、道が開かれていますが、できない人がさらに大変です。
 そこへ気軽に相談できる人であれば、一歩進む形になり、突破口を簡単に見つけることができます。相談するという段階で、自分の中には答えが出ているのですから、あとは進んでいくだけです。

 なら、そうじゃない人は…知らず知らずにヘルプの仕草が出ているにもかかわらず、強がってしまったりして、殻を被ることになってしまいます。そうすることで生活をして、より強固な殻をかぶって……というのが日常になってしまうのかもしれません。
 相談できない人というのは、まさにそれです。袋小路を作って、自分で入ってしまうのですから。周囲から見ても、わからない場合があります。それが、希薄な世の中ならなおのこと……

 ここでちょっとした問いかけを……

 『あなたの隣にいる人は大丈夫ですか? 気が付けますか?』

 希薄すぎる世の中は、些細な変化すら気が付けないほどに、目を曇らせることになります。普段と違うところに気が付けるように、なれる人があなたの周囲にいれば、ふとした瞬間に導いてくれるのかもしれません。

数多くの動画やブログの中で、ここにたどり着けただけでも、見つけもの?

 人は生まれながらにして、亡くなることは約束されています。なら、自分のことだけじゃなく、周囲のことにも目を向けて損はありません。最初は辛いかもしれませんし、罵声も浴びられるかもしれません。
 やめたくなることなんて、ザラにありますし。些細な変化を見つけるように『目』を使ってみるのもいいかもしれませんね。スマホを見るのもいいですが……