どんなイラストからでも情報を追加していくと、物語が生まれていく。
イラストの五感の情報を追加して執筆していくと、それはまるで読者が実際にその体に触れているような気分になります。そこで、今回は……
「体験の‘共有’」
についてのお話です。
視覚から得た情報を言葉に。
私は、ほぼ毎週のようにpixivにお題箱に寄せられた、官能的な小説を執筆してます。それは、私の日常のようになり、今では当たり前のことになっています。
例えば、これからの時期は、紅葉が始まり紅葉狩りの季節に移り変わっていきます。その紅葉した木々の表現として、よく使われるのが‘萌えるような紅葉’とよく使われます。
‘燃える’ではなく‘萌える’と書かれる紅葉の状況は‘萌える’の方が正解で‘燃える’の方が誤字ということにます。実際に‘燃えている’わけではないですからね。
考え方を変え、どうして‘もえる’と表現するのがというと、まるで‘炎で燃えているように’赤々と紅葉しているという‘比喩’になります。そのような紅葉を見たことで、心の奥底から豊かな気持ちになって‘萌える’という感情が正解ということになります。まぁ、キャンプなどをすれば、萌える紅葉を見ながら、焚火を燃やすという状況になりますが……
単純な言葉遊びの‘萌え’と‘燃え’。物理的にもえる‘燃え’と心理的にもえあがる‘萌え’の違いは実に複雑で、新芽が芽生えたことで感じる‘萌え’ですが、その新芽を収穫して、調理するとなると‘燃え’になってしまうという。言葉遊びが出来上がります。
そんな‘もえ’という言葉だけでも、いろいろなシーンが想像できてしまう日本語は、世界的にも難しい言語と言われ、今の私ですら間違えるくらいですから。よほどです。(執筆動画ではがっつり間違ってました。)
そんな日本語に興味を抱き、日本語を学ぶ人も増えてきています。その中にも、私が先ほどしたように‘比喩表現’を日本語で行うと、より深みが増します。意味やその色合いまで、一文に含まれて単なる数文字の羅列だというのに、その言葉の節々からは、情景が生まれてくるのです。
作者はどのような環境で、どのようなシーンを想像して執筆しているのだろうかと、国語の授業で習ったあの頃が懐かしいです。私を担当してくれた国語の教師は、こんなことを言ってくれました。
「感情は、言葉の節々に宿る」と。
流し読みをしてしまえば、単純な文字列で終わってしまいますが、その言葉の節々からは、筆者の感情が垣間見れます。また、筆者がこのキャラクターにどんな感情を抱いているのかも、伝わってくるような気がします。
それは‘心の受け皿’を必要とするものなのかもしれません。しかし、どのような重いでキャラが動いているのかを、読者が読み解ければよりその作品を深く知れることになります。
視覚から文字を。なら、文字から視覚も?
何気なく毎週のように更新しているノベルティーですが、そのすべてを文字からシーンを思い浮かべるようにして、執筆しています。
すべての作家が同じようにしているとは限りませんが、少なくても私はこのように、脳裏で映像を思い浮かべて、それを文字に起こしています。それはもう、まるでアニメーションの文字起こしのように……
これは、官能小説ならではの執筆方式なのかもしれませんが、そのシーンの調度品や、キャラクターが目にするものや、空気感。肌に触れる感覚そのすべてが、映像として浮かび上がってきます。
キャラが感じた部屋の調度品の感覚。何気ない木製の調度品に触れただけでも、その質感はキャラクターも感じているはずです。なら、それを言葉に踏襲しないのは不自然になってきます。
まぁ、あまり長編になっても仕方ないので、割愛をする場合もありますが…それ以外は、おおむね感じたであろうものを、そのまま文字に起こします。そうすることで、キャラの感情や心の機微を描けるようになってくるのです。
どうして私がこのようなことをできるようになったのか。それは、発想の転換です。ただ、発想を転換するのではなく、あるコツがあります。それが、これ。
‘あの作家さんができるんだから、自分もできるよね?’
そう。単純なその言葉だけで、私はここまでたどり着きました。単純な発想転換をするだけで、物事は180度変わります。それまで、欠点のようにしか見えていなかったものが、発想を変えると一気に魅力へと発展していきます。
世の中には、どうしても天才肌と呼ばれる人は、当然います。なんでもそつなくこなしてしまい、成績も優秀。そんな人はザラにいます。
そんな中で、もがきあがく結果、丸くなってしまうのです。では、天才の人は何もしていないのか? そんなことはありません。
まして、天才肌の人が普通にやっていることを、自分でもやってみることで、すべてが変わります。
天才もいるけど、秀才になることもできる。
天才は、もともと文武両道だったり、世渡り上手な未来を紡ぎだします。そのため、秀才や凡人の人には、とうてい届かない未来が待っています。
そのなかでも、凡人は秀才に秀才はより天才に近づいていくことができます。
まずは、積み木の開始です。目標ははるか上なのですから、ゆっくりと足場を固めましょう。秀才になるための扉は、意外とすぐそばに用意されています。
それを一つずつ積み上げてきた私が、お送りする。普段話でした。ありがとうございました。(`・ω・´)ゞ
こちらの記事は、youtubeチャンネル。結城里音で執筆動画としてアップロードされます。以下のURLからアクセス可能ですので、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ
作りこまれたキャラだからこそ、執筆もはかどる。
キャラクターの設定が重要とは聞くけれど、その重要度はそんなに語られていません。そこで今日は……
『作りこんだだけ、キャラは歩き出す。』
そんな話。
一言でキャラを作るといっても、作りこみが重要となってくる。
世界観や時代背景を考慮したうえで作られるキャラクター。それは、読者が感情移入しやすいように、個性豊かなキャラクターが多く生み出されますが、その一つ一つが多くの要素が盛り込まれています。
単純な長所と短所だけではなく、過去の出来事によって抱え込んでしまったトラウマや、過去の出来事の影響で口調が変わってしまったりと、キャラクターには過去があることで、人間味が増すことになります。
そんな複合的要因から組み上げられるキャラクターは、一朝一夕にこう作ればいいというレシピがないのも難点で、より深く掘り下げれば人間味は増しますが、読者からすれば難解すぎるキャラになってしまいかねません。
一言で‘作りこむ’といっても、やはり限度があります。用法容量を守って、適宜使わないと、欠点も萌え要素として生きてきません。作りこみの内容が充実してくることで、発展させたショートストーリーも書きやすくなり、物語も派生しやすくなります。
長所があるのだから、短所もきっとある。
少し前にはチート級の能力を持った主人公が流行った時期もありました。異世界転生というやつですね。そんな流行も、うつせみに合わせて流れていくもの。チート級の能力は魅力ではありますが、それだけでは読者は離れてしまうもの。
チート級の能力があるんだもの、チート級の欠点があってもいいようなものです。ツンにはデレがあるように、ツンツンとしたムチの部分があったうえで、デレのアメの部分が際立ちます。
ただ、これには、欠点もあり。あまり極端すぎると、どんどんマニア向けになってしまうのです。まぁ。そういうのが好きという人もいますが……
コロコロと変わる世の中でも、ツンとデレは変わらず需要があるようで、根強い人気があります。特に、完璧女子の見た目をしているのに、趣味嗜好が致命的だったりと、萌え要素となり人気を博すのは知られているところですね。
そんな、ツンとデレのあるキャラにも、ほかのキャラ同様‘過去がある’
長所と短所は、誰しもが持っているもので、それをキャラクターに踏襲することで、人間味のあふれるキャラクターに仕上がります。しかし、それだけでは単なる薄っぺらいキャラになってしまうのです。
であれば、何が必要なのか。それは‘過去’です。
未来を生きるキャラクター達には、当然のように過去が存在します。過去があるからこそ、今のキャラクタ―があるのですから、そのキャラクター達になるまでには、多くのことを経験したはずです。
そこで得た知識を踏まえて、今のキャラクターがあるのだとすれば、そのキャラの昔にはこんな苦労があったのかと、掘り下げることも可能です。
それは、キャラクターを語るうえで重要なものとなり、その過去があることで、口調が変わったり、呼称や呼び方すら変わってしまいます。
そうして作りこまれたキャラクターは、より魅力的に見え、読者のファンもつくことが間違いなしです。
また、ショートストーリーを書く私としても、より掘り下げることができるために、楽しんで執筆することができ、必然的に読者を喜ばせるという答えを紡ぎだします。
より、作家が楽しく執筆し、一人でも多くの読者の心をほっこりとさせたいと思う、私なのでした……
こちらの記事は、以下のリンクから執筆動画として視聴可能です。まぁ。マニア向けですが、よろしくお願いします(`・ω・´)ゞ
ショートストーリーを書くようになった理由。その詳細。
誰しもが思うこと。でも、私の場合はその‘道筋’ができていただけ……
『想うことと、かなえることは違う。しかし、どちらも切っても切り離せない関係。』
今日は、そんな話。
ひとりひとり、描きたい想いが生まれる。
テレビアニメなどを見ている人であれば、このキャラクターが悲恋や凄惨な最期を遂げたとなれば、悲しむのも当たり前のこと。
アニメに限らず、コミックでも同じように考える人も多くいます。私もその中の一人にすぎませんでした。
好きなキャラが凄惨な最期を遂げたとなれば、もっとハッピーなエンディングを迎えさせてあげたくもなります。まして、推しキャラの早期退場した場合は、特にアニメ視聴をやめてしまったり、読むのをやめてしまう場合も多々あります。
そんな思いから、ショートストーリーを書き始めて、イラストを書いたり私のように小説を書いたりと、いろいろな形でうちに秘めた思いを具現化していくことになります。
その思いをいざ、具現化しようとした場合。自分‘だけ’が見るのなら、独りよがりの、身勝手なシナリオでもいいかもしれません。しかし、SS小説として‘発表’ということを考え始めると、話は別になってきます。
想いをきっかけとして、思いが行動へとつながる。
最初はやっぱり、どうしても推しキャラの自分が満足するだけの物語を書くことになります。私もそうでしたし、そこからが最初の一歩です。
そして、書きあげて行くと、それはもう。ノリノリで書きあげます。
『こんな面白いものないだろう!!』
って。これが、意外と陥りやすいお約束になります。
その時は、テンションが上がってしまっているため、冷静に中身を見れないというのがあります。
作家目線であれば、ノリノリで面白いもの!と思えるものでも、いざ視点を変えると…「あれぇ?」ということが多々あります。
数日置いて、読み返した場合に執筆当時は、あれほどノリノリだったものが、首をかしげてしまうのです。
それは、あの時の興奮していた感情がリセットされて、違う目で見れるようになったからです。その目が……
『読者の目』
になります。読者の目は、物語を手に取り作家側からではなく、読み手からの視点で見れていることになります。その視点から見た結果。こう思うのです。
『あれぇ? 面白くない?』
と、そう思うようになるのです。
そして、ここから1ステップアップできるかどうかが、意外と肝となってきます。それが……
「どうしたら、面白くなるんだろう?」
こう思うことが私にはできたのです。
自分の思い描いて書いたはずの小説が、あくる日には面白くなくなっているのです。しかも、当時の自分は‘おもしろい’と思って書いたはずなのにです。
「これは、面白いものがかけた」思ったはずの小説が、次の日に改めてみると、あれっ?という気分になってしまうのです。
そこで学び始めました。‘どうしたら面白く書けるのか’を。
単純にショートストーリーといっても、奥が深い。
ひとつひとつは、ショートストーリーで、数分で読めてしまう内容でも、その陰には、目には見えない努力が含まれています。
しっかりと骨組みを立て、展開を考えてグッと来るように構成をしたうえで、執筆しています。
そんな目には見えない努力を重ねて、執筆している作品ですが。‘大変’とえば、それまでで『やめる』ことはすぐにでもできます。何でもそうですが……
‘やめるや易く、行うは難し’
なのですから、何事も続けていくことで、改善点が生まれていきます。私も、数日前に自分が書いてものを読めば…
『あぁ、こうした方がよかったんじゃないか?』
『こういった展開の方が…』
と、改善点が生まれてくるものです。しかも、その刺激は私のとって大好物なので、楽しくて仕方がありません。
そんな、何事も‘楽しい’と思ってしまう主なのでした……
こちらの記事は、執筆動画として以下のURLから視聴可能です。そちらもよろしくお願いします(`・ω・´)ゞ
https://youtu.be/2szMeF9QbQw
物語で紡ぐ、学ぶことが楽しくなった理由...
日々、新しいことが増える中で、学ぶことが楽しいと思えるようになったのには、理由があって。それが今回のテーマ…
『知ることは、目標にたどり着くための、道しるべ。』
今日はそんな話。
知識を求めれば、一定の答えが用意されている。
何かを達成しようとした場合。進学校への進学などで、勉強をしなければいけないと思ったとします。それは、入試で必要となるもので、一定の成績を収めないと入学することはできません。
それには、自分の足りないことが目に見えてわかってきます。自分には足りない成績として、明確な『数字』として突き付けられて、時に億劫になってしまうこともあることでしょう。
『ちっともわからない。どうすれば解けるんだ?』
など、頭を抱えてしまうことが多くあります。
それでも、受験生は学ぶことをやめません。それは、受験生に限らず、大人になっても同じです。
なら、そこに何があるのでしょうか。受験勉強にも大人になって学ぶことでも、共通していることがあります。それは...
『目のまえに‘答え’が用意されている』
ということです。
受験勉強も、社会人になってからの勉強も、そのすべてが‘目の前に’答えがあります。よくこんなことわざがあります。
‘灯台下暗し’
遠くを照らす灯台は、海路を迷わないようにと、船に目印となる光を照らすものですが、その明るい灯台でも、その足元は暗いままです。そのため、灯台の足元は真っ暗で見えないというさまから、遠くばかりを眺めていると、足元が見えなくなるという、例えになります。
つまりそういうことなのです。足元に答えがあるにもかかわらず、ほかの場所を探してしまっているのです。そのことに気が付けると、勉強は一気に‘楽しいこと’に切り替わってきます。何せ…
‘答えはもう、足元に用意されている’
のですから。
多くのことを知れば、それだけ多くの答えが用意される。
一つの事柄を知ると、それに付随した関連性の高いものの答えも用意されます。そのため、関連したものを調べていくと、同じような答えが比較的簡単に得られることがあります。
それはまるで‘実った芋’のように、ズルズルと関連する答えが見つかっていきます。こうなると見つけた人はこう考えるようになります。
『まなぶのって、楽しい!!』
と。このように考えることで、さらに答えを見つけやすくなる‘目’を持つことになります。
それは『知識欲』として片づけられますが、この三文字だけには収まらない内容が、どんどん見つけれるようになります。それは、欲求に裏打ちされた、サイクルで多くのことを求めるようになります。
そのことが、さらに『楽しい』という感情を生み出し、正の連鎖を繰り返していくことになるのです。
知ることは、明日への道しるべになる。
最後に、知識を得ていくと、さらに新しいものを知りたくなる衝動にかられます。多くのことを得て、楽しいと思えるようになったあなたは、人が驚くようなスピードで成績を上げていくことでしょう。
しかし、驚くことではありません。何しろそのこと自体が『楽しいこと』なんですから。
こちらの記事は、以下のURLで執筆動画が見れます。
https://youtu.be/Mo_Dbks4LIA
物語テイストで紡ぐ『なんでも』書けるようになった秘密……
質問箱にも寄せられたように、なんでもSSを書けるようになったのには理由があって、それが今回のテーマ……
『文字で作る、料理のよう』
を物語テイストでお送りします。
物語の組み立て方を知ったある少年…
ある少年が、物語を組み立てるのに重要となってくる、四小節や三小節という要素を見つけました。そして、その組み立て方には、それぞれ『順番』があることを知るのです。
その少年は、その知った組み立て方に従って、順序だてて組み立てていきますが、どうしても失敗をしてしまいます。
これで、あっていると持っていたはずの、組み立て方とその順番を守っているのにもかかわらず、ちっとも面白いと思えなくなってしまっていくのです。
その少年は、何度目かの挫折を味わい、さらに試行錯誤をすることになります。単純に組み立てるだけでは、無理なのかと。
そして、順番をただ、守っていればいいのか、疑問が生まれた少年は、原点に立ち返ることになりました。
「組み立て方には、ほかの要素がある?」
そう思いだした少年は、二つの内容をメモした紙を、横にふたつ並べて確認してみます。
一方には、物語の組み立て方を書いたもの。もう一つには物語を面白くする展開を書いたもの。この紙に書かれたものは、どちらも物語を作るうえでは、必要不可欠なものです。そのため、この二つの要素を入れる必要が出てきますが、それを行って失敗したのですから、少年は悩んでしまいます。
「物語を組み上げるのだから……どっちか一つじゃいけない?」
「混ぜる? 組み合わせ?」
そう考え始めた少年は、ある糸口をつか無ことになります……
物語は、料理と同じ……
物語を書くために、少年はいろいろと物語に必要となる情報の多くを入手し、整理することにします。
それは、些細なメモに始まり、画像に音声とありとあらゆるものをかき集めます。そうして集めているうちに思い始めるのです。
『あれっ。料理でも作ってるみたいだ…』
物語を紡ぐには、起承転結の四小節。序破急の三小節と、多くの書き方があります。まして、ジャンルによって、恋愛ものなら序破急。じっくりとしたものなら起承転結といった具合に使い分けることを、少年は知ることになります。
『大きな大綱を起承転結? 序破急? かで作ってから……』
『さらに細分化すればいいのか……』
そのレシピを見つけ始めた少年は、そのレシピに合わせて、展開を考えるようになり、どの場所でどの言葉を使うかまで考えていくようになりました。
それまで、ただ単純に、起承転結や序破急を使っていただけの少年は、一歩先に進むことになりました。
一つの料理を作るように、物語が生まれていく……
順序だてて考えた少年は、それをもとに執筆するようになっていきます。そうすると、自分の中の考え方もより整理することができるようになってくるのを、実感したのでした。
「まるで、アニメを文字に起こしてるみたいだ…」
執筆するのを楽しむようになっていた少年は、その脳内でアニメを再生しているように、キャラクターのシーンが流れてくるようになったのです。そのキャラクターのセリフを、言葉として小説に落とし込むことは、少年にとってうれしすぎることこの上ありませんでした。
これが、私がなんでも書けるようになったその理由でした。
最後までご覧いただき、ありがとうございます(`・ω・´)ゞ
こちらの記事は、執筆動画になっていますので、そちらもよろしくお願いします。
(`・ω・´)ゞ
https://youtu.be/m81o3pwNQws
本を読むことが好きな少年は、やがて、自分で本を書くように…
子供のころから物語が好きだった私は、次第にその物語を自分で書きたいと思うようになり……
『思いは形となり、未来を作っていく…』
今日は、そんな話。
本好きの少年は、次第に作りたいと思うように…
祖父の影響で昔話を聞くことが好きになった私は、自分では経験できない過去の話を聞けて、追体験することに楽しみを覚えるようになりました。それは、本を読むことでも同じ快感が得られるようになっていったその少年は、本があふれる‘図書館’に入り浸るようになります。
物語を貪欲に読みふけるようになった少年は、ページごとに訪れる世界に没頭し、自分では体験できない架空の世界の物語が、そのページ一枚ずつに刻まれていることに、目を輝かせていました。
時に、悲恋の物語に出会い、号泣したり。楽しい物語を見ては、けらけらと笑ったり、読書が好きになっていったその少年は、次第にこう思うようになります。
「自分で書いてみたい。」
そう思い描くようになった少年は、物語の作り方などを、読み漁るようになりますが、一朝一夕にできるようなものではありません。
バイトをしながら、学校に行きながらと、少年はいつしか青年になり、図書館に足しげく通っていたあの頃が、過去の出来事へとすり替わっていきました。
最初はだれでも手探り。
青年になったその子は、日々謀殺される日常の中でも、会話の節々から感じられる人の感情に、ドキドキわくわくするようになっていました。
文字には音が付随し、発生されてくることが当たりまえの世の中。人同士の会話でも、お互いの感情が入り混じっていることに気が付き始めるのです。
相手をだまそうとしている声、相手を意図した方向に動かそうとする声。そんな声の中に‘意思’ににた‘感情’を感じるようになった青年は、改めて、昔読んで楽しいと思った本へと目を向けることになります。
数十年ぶりに手に取ったその本は、あの頃とは体も成長し、心も成長した青年は、文字から感じ取る‘印象’すら変わっていました。
キャラの声の節々から感じる、キャラの印象と想い。それは、この後につながる物語の、根幹をなしていることに。うっすらと気が付き始めます。
一時的に、本から離れた青年は、バイトで経験した、感情を感じ取るという能力を、文字を読むときにも利用することにしました。
見える世界観が変わってきた青年は、あの時の想いがまた芽生えは自目ます。自分で書いてみたいと……
最初こそ、その思いを羅列しただけだった青年は、理想と現実のはざまにさいなまれて『書きたいのは、根なんじゃない』とそう思うようになります。
自分には、何が足りなくて、何が不足しているのか、必死で考えました。そして考えた青年は…考えるのを一度止めます。
それは、自分で書く前の準備段階にあったということに、気が付き始めていたのかもしれません。
原点となる本に戻ったその青年は、もっと分析するように、考えながら文字を読むようになっていきます。
そうしてみていくと…その青年は、新たな観点を見つけることになりました。それが、編集者視点でした。
作り手の目線。読者の目線を得た青年は、新たに編集者の視点を手に入れることになります。
その視線で分析していくと、楽しいと思えるものには、ある共通点があったのです。その共通点を見つけた青年は、数年悩んだ自分には足りないことの、鍵を手にしたのです。
しかし、手にしただけでは使うことは無理でした。改善点となる鍵穴と、その鍵をゲットした青年でしたが‘使う方法’を知らないのです。
やり方と組み方は知っていても、どう使えばいいのかが抜けていた青年は、次第に大人になり、社会生活を送るようになります。
シナリオライターとの出会い。
社会生活をしていくうえで、バイトではなく、ある職業と出会うことになります。それが‘シナリオライター’という職業でした。
物語をより魅力的に見せるための、構成や作り方を学べるその職業は、鍵穴と鍵を手に入れた青年には、出会うべくして出会った‘鍵の使い方’そのものでした。
そうして使い方を知った青年は、幼少期に抱いたあの思いを叶えることになります。
『自分で物語を作る』
それは、実に楽しいことで、これほど楽しかったのかと、思うほどに青年を歓喜させました。
それまでの、言葉の節々から感じ取れた、キャラの感情がすべて、糸となり一つの物語として形を成したのですから。
作家、結城里音の誕生。
ここまで、私の半生をピックアップしてきました。
物語調にしてみたのですが、いかがだったでしょうか。
SS作家なのだから、こんなブログもいいかなぁと想い。今までのブログとは、一線を画した執筆方針を取ってみました。
こうして物語を紡ぐ私、結城里音が生まれたということです。
今後も、こういった物語テイストのブログを書いていければと思います
(`・ω・´)ゞ
こちらの記事は、夕方17時ころより、結城里音のyoutubeチャンネルで執筆動画として、視聴可能になります。そちらもよろしくお願いします(`・ω・´)ゞ
親切にされるのを待つより、する方が幸せ。
地域によっては、親切とは縁遠いことも多い中。私は田舎住みということもあり、隣近所みな親戚のような環境で育ちました。そして、質問箱に似たような質問が投げかけられたので、それが今回のテーマ…
『親切にしてほしいのなら、自分からすること』
今日は、そんな話。
よく、両親から言われたこと。概ね父親。
今、私は実家からこの執筆をしているのですが、母親と一緒に暮らしています。もともと、母子家庭…ということではなく、祖父と祖母。父親と母親と、親世代にはいろいろなことを学びました。
それも、幼いころから昔話を聞くことが好きだった私は、なお一層。昔話にのめりこむようになっていきます。
祖父は、満州帰りの元軍人で、一般兵だったらしいですが、持前の器量でかいくぐってきたとのこと。当時のことはあんまり、詳しくは話してくれませんでしたが、楽しそうに話す祖父の様子に、戦争で辛かったものの、その中でも死線は幾たびか潜り抜けたようで、饒舌に話す祖父の顔が今も、たまによぎります。
一方で、祖母はおとなしい人で、クシャっと笑顔を作る祖母は、癒してくれる存在でした。
私が幼いころは、母が仕事に行っていたこともあり、祖母と一緒にいる時間の方が長いため、当時の私は‘おばあちゃんから産まれた’なんて言葉を、口走ったらしいですがw
今では、いい思い出です。
そんな祖父や祖母も、育児のことに関してはそこまで干渉せず、本当の意味で大切なことは父親から教わりました。ふわっとした記憶しかないですが、心のどこかにあると思います。
どうして‘ふわっとした’と言ったかというと、今は。父親は亡くなってしまっているので、空想上の父親像になってしまっています。
高校生の時に脳卒中に脳梗塞と、二大大病を併発し、右半身不随になったものの、言葉を話せない代わりに何をしたいのかを、視線で教えてくれるようになりました。
今思えば、この時に相手の心を読む読心力が養われたのかもしれませんが、今でも、その能力は息づいています。キャラクターの表情から感情を読み取り、どんなことをしてほしいのかというのが、この時から目で鍛えられたと今では思っています。
そんな父から教えてもらったことが、この言葉です。
『自分がしてほしいのなら、自分が相手にすること』
これは、父が話せなくなる前の話ですが、その中でも一番印象に残っている言葉のひとつです。
自分がしてほしいのなら、自分が相手にする。
これは、簡単なようで簡単ではありません。見返りを求めることの多くなった世の中では、見返りが発生しない。もしくは、わかりにくいこの行為は、やりにくい環境になっています。
自分が欲しいと思うものは、相手も欲しい。なら、自分が先に手に入れるよりも、相手に譲って、後から手に入れればいいじゃないかと。
これは限定ものでも私はこう考えてしまいます。その日限定なら、事前から調べて、その日に買えるように予約すればいいのです。また、その日の分が売り切れたとしても‘次の日’の分があるのですから、次の日の分を予約して帰宅すればいいのです。
たとえ、その日が買えなかったとしても、明日がある。と考えるだけで、心に余裕が生まれます。そのことで、争ってまでという状況は回避されます。これは、心構えともいわれますが、考え方次第です。
ストレスの多い中で、生きてること自体がつらくなることはたくさんあります。死んだ方がましと、思ってしまうこともあります。今のつらい現象が続いてしまうと、死んだ方が‘楽’に見えてしまうのです。
しかし、一歩立ち止まって、よーく注意深く観察すると、考え方の転換や相手の想いが見えてくるかもしれません。実際問題、これほど人間の思考は単純ではありませんし、私のこの思いはある一部しか見ていないのかもしれません。
しかし、その一部でも変わっていけることで、大本の心の部分が変わることができたら…これが一番大事なのです。自分から一歩進むことは誰でもできます。なら、やった方がいいですよね。
そんなゆったりとした環境で育った私、ならではといった形なのでしょうし、田舎の方が性に合っているような気がする。今日この頃でした。
最後に、自分が欲しいと思うことは、相手も欲しいものです。なら、今。一歩譲っても、損はないですよね。また手に入れれるんですから。
そんなお話でした。