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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

親切にされるのを待つより、する方が幸せ。

 地域によっては、親切とは縁遠いことも多い中。私は田舎住みということもあり、隣近所みな親戚のような環境で育ちました。そして、質問箱に似たような質問が投げかけられたので、それが今回のテーマ…

『親切にしてほしいのなら、自分からすること』

 今日は、そんな話。

 

 

よく、両親から言われたこと。概ね父親。

 今、私は実家からこの執筆をしているのですが、母親と一緒に暮らしています。もともと、母子家庭…ということではなく、祖父と祖母。父親と母親と、親世代にはいろいろなことを学びました。
 それも、幼いころから昔話を聞くことが好きだった私は、なお一層。昔話にのめりこむようになっていきます。

 祖父は、満州帰りの元軍人で、一般兵だったらしいですが、持前の器量でかいくぐってきたとのこと。当時のことはあんまり、詳しくは話してくれませんでしたが、楽しそうに話す祖父の様子に、戦争で辛かったものの、その中でも死線は幾たびか潜り抜けたようで、饒舌に話す祖父の顔が今も、たまによぎります。
 一方で、祖母はおとなしい人で、クシャっと笑顔を作る祖母は、癒してくれる存在でした。
 私が幼いころは、母が仕事に行っていたこともあり、祖母と一緒にいる時間の方が長いため、当時の私は‘おばあちゃんから産まれた’なんて言葉を、口走ったらしいですがw
 今では、いい思い出です。

 そんな祖父や祖母も、育児のことに関してはそこまで干渉せず、本当の意味で大切なことは父親から教わりました。ふわっとした記憶しかないですが、心のどこかにあると思います。
 どうして‘ふわっとした’と言ったかというと、今は。父親は亡くなってしまっているので、空想上の父親像になってしまっています。

 高校生の時に脳卒中脳梗塞と、二大大病を併発し、右半身不随になったものの、言葉を話せない代わりに何をしたいのかを、視線で教えてくれるようになりました。
 今思えば、この時に相手の心を読む読心力が養われたのかもしれませんが、今でも、その能力は息づいています。キャラクターの表情から感情を読み取り、どんなことをしてほしいのかというのが、この時から目で鍛えられたと今では思っています。

 そんな父から教えてもらったことが、この言葉です。

 『自分がしてほしいのなら、自分が相手にすること』

 これは、父が話せなくなる前の話ですが、その中でも一番印象に残っている言葉のひとつです。


自分がしてほしいのなら、自分が相手にする。

 これは、簡単なようで簡単ではありません。見返りを求めることの多くなった世の中では、見返りが発生しない。もしくは、わかりにくいこの行為は、やりにくい環境になっています。
 自分が欲しいと思うものは、相手も欲しい。なら、自分が先に手に入れるよりも、相手に譲って、後から手に入れればいいじゃないかと。

 これは限定ものでも私はこう考えてしまいます。その日限定なら、事前から調べて、その日に買えるように予約すればいいのです。また、その日の分が売り切れたとしても‘次の日’の分があるのですから、次の日の分を予約して帰宅すればいいのです。
 たとえ、その日が買えなかったとしても、明日がある。と考えるだけで、心に余裕が生まれます。そのことで、争ってまでという状況は回避されます。これは、心構えともいわれますが、考え方次第です。

 ストレスの多い中で、生きてること自体がつらくなることはたくさんあります。死んだ方がましと、思ってしまうこともあります。今のつらい現象が続いてしまうと、死んだ方が‘楽’に見えてしまうのです。
 しかし、一歩立ち止まって、よーく注意深く観察すると、考え方の転換や相手の想いが見えてくるかもしれません。実際問題、これほど人間の思考は単純ではありませんし、私のこの思いはある一部しか見ていないのかもしれません。

 しかし、その一部でも変わっていけることで、大本の心の部分が変わることができたら…これが一番大事なのです。自分から一歩進むことは誰でもできます。なら、やった方がいいですよね。
 そんなゆったりとした環境で育った私、ならではといった形なのでしょうし、田舎の方が性に合っているような気がする。今日この頃でした。

 最後に、自分が欲しいと思うことは、相手も欲しいものです。なら、今。一歩譲っても、損はないですよね。また手に入れれるんですから。

 そんなお話でした。