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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

親からすれば、子はいつまでも子 2020.09.05

 父親を越えようと、悪戦苦闘する男の子。そして、いずれ身長も学歴も追い越すけど……

“親の心子知らず・子の心親知らず”

 そんな話。

 

 

背中を見て育つ子

 誰にでもいる、父親。シングルマザーに育てられて、直接会ったことがない人もいますが、それ以外は概ね父親と母親、そして子供。という家族構成になります。これに、祖母や祖父、また、長命な曾祖母に曽祖父が加われば、実に大所帯な家族構成になります。
 最近では、祖母や祖父とは別れて暮らし、普段の生活圏と実家という構成が、増えてきています。

 男児であれば、父親の背中を見て育ち、父親の仕草を見て育つようになります。また、父にあこがれを女児が抱けば、男っぽい性格になりますし、母親に憧れを抱く男児がいれば、女の子っぽい性格にもなります。
 これが“多様性”を生むことになり、個性となって染みつくことになります。男っぽい性格の女性は、女性っぽい性格の男性と波長が合い、好意を寄せるようになり結婚へとつながります。

 それは歯車のように、自分では得られない考え方を相手に本能的に求め、興味を抱きます。また、同じ選択をする、同じ選択をしたのに違う結果を導き出す。そんな人がいれば、一気に興味が増します。

 “どうしてなんだろう?”

 単純な疑問から始まったその思いは、異性であれば恋心。同性であれば尊敬や、憧れといった形で現れます。

手の届く相手がすべて憧れの存在になるわけじゃない。

 人は、夢を見て憧れを抱くことができます。
 発展した未来を想像し、叶える力すらあります。

 “こんなものがあれば……”
 “こうしたら便利になるのに…”

 と思いを巡らせて、いい商品が次から次へと生まれていきます。それが生活水準の向上につながり、明日を作っていくことになります。

 人はアイドルに憧れたり、ファン活動にいそしむことがあります。それは、その相手が自分では到底経験できないことをしているから、憧れを抱くことになります。そして、アイドルグッズを買いそろえたり、アイドルに関するものが身の回りで増えることへとつながります。
 そうすると、少しだけ変化が訪れます。それは“自分が知ってあげてるんだ”という、独りよがりに近い思考回路です。

 それは、男性・女性問わずに芽生える本能そのもので、アイドルの顔写真や等身大ポスター。販売商戦の中で行われるこのような布教活動は、経てして野生の部分を呼び覚ますことがあります。
 これが、二次元のキャラクターであれば、まだことは起きにくいです。次元を越えた相手なら、恋焦がれることがあっても、相手に実害が及ぶことはありません。しかし、会えるアイドルや触れられるアイドルになってくると話は別です。

 男性に多く現れますし、事件に発展するのも男性が目立ちます。これにも理由があり、本能優勢になると男性は、家庭を形成する時、狩猟本能というのがあります。これが厄介になっていきます。
 身の回りにアイドルのグッズが増え、あたかも“その場にいる”ような状況下になってしまうことで、より多くのことを求めようとしてしまいます。これは何も、族や組に関係した人だからというわけではなく、男性に本来備わっているものです。

 それを制御できるかできないかにかかってくるのです。心を心で操作するという、多重人格のような考え方ですが、女性はこれが自然にできます。
 女性は家庭を守るという本能があるため、家庭に実害がない範囲で欲求をかなえようとします。そして、旦那がもし目撃したとしても、許容してくれるのならなおのこと、生き生きとし始めます。

 それが夫婦関係を円滑にし、家庭を作っていくのに必要となっていきます。まぁ、この個性のあふれる世の中で、これ。というゴールがないのも事実ですが。ここに挙げたものは、あくまでも一例。そのため、これに収まらなければいけない。ということではありません。

そうしてできた家庭で育つ子供。

 男子であれば母親に似るとカッコよくになる。または、女子であれば父親に似るとカッコよくなる。とはよく言われますが、これにはれっきとした理由があります。

 男子として生まれれば、男性らしい思考をするのがデフォルトであります。運動会で優勝したり、いい成績を獲得して両親に喜ばれたいと、そう考えることになります。これは男子としての本能の部分で、成長の段階を親に見せて褒めてもらうための行動の一つです。
 褒められた子供は、もっと褒められたいとより一層その分野に関しての知識を蓄えていきます。そして、また褒められてうれしい。という好循環が回ります。

 しかし、褒められたことがない、という人も当然います。すると、両親を尊敬しないか、あてにしないことで、ほかの場所に父親像を重ねたり、空想上の父親を作っていくことになります。脳内で、自分をほめてくれる“仮想父”
 すると、リアルの親を嫌煙することになってしまうのです。だって、認めてくれないのですから。認められるための行為につながる“褒める”という仕草は、心の成長に必要不可欠なものです。

 それが欠け、脳内の仮想父を作った場合、ダメなことも褒めてくれるようになります。自分の都合のいいように演じる父親のため、ダメなことをしていても、叱ることがなく、肯定してくれてしまいます。
 これは男子であれば父親。女子であれば母親にしかできないことでもあります。過程で触れる、初めての大人であり見本になるのは、両親なのですから。喧嘩ばかりしている姿を見せてしまっては、けんかっ早い子供になってしまいます。

 “この親にしてこの子あり”

 といわれる所以ですね。
 親の背中を見て子が育つとなれば、まるで生き写しのように、そっくりに育ちます。立ち振る舞いから仕草まで、男子であれば父親の生まれ変わりのようなそっくりな仕草を取るようになります。

 これは、母親から見ればさらにわかるようで、完全に一致するわけではないにしろ、節々に旦那とそっくりな仕草を感じられるようです。(母が言うには、そっくりらしいw)
 こうして、親の背中を見て育った子供は、親のいい面も悪い面も見て育つことになります。よい面をまねしてくれればいいのですが、そうもいかない場合もあります。

 “悪いところばかり似て~”

 といわれる人もいるでしょう。それは、母親も関係してきます。ほんとは真似てほしくない場所でも、母親がうれしいような表情をした場合、子供からすればこうなってしまいます。

 “お母さんがあんな顔をするんだから、してもいいこと”

 という一定の答えに結びついてしまいます。
 本来なら、夫婦間でのみすることだったとしても、それが当たりまえになり、してもいいことに置き換わってしまいます。そして、幼稚園・小学校と上がっていくうちに、それが間違っていることに気が付くようになるのです。

 地域柄の特性ということもありますが、おおむね両親の背中を見て、子は育ち。もし、尊敬できる部分がないと思ってしまっている場合、家庭の外に父親像や母親像を重ねられる相手を探してしまうのです。
 それは、学校の先生や保険医。親身になって自分を律しようとしてくれる姿は、まさに親そのものです。そうした場合、母親と異なる相手に、母親のような感情を抱く時。それは疑似恋愛にすり替わります。

 大人の女性で、自分のために親身になってくれる。高校に上がった場合は、年齢も近くなったうえで、少し年上。ほら。彼女の条件に近づいてしまうのです。

 “理想の親身になってくれる母親像+年の近い、自分よりも大人の考えを持つ女性”

 これが頭で考えるタイプの男子が陥る、疑似恋愛の形になります。隙になる条件が揃ってしまうため、教師と生徒の恋愛へと発展することが多分にあります。

 男子の場合を例に挙げましたが、これは女子の場合も当てはまります。自分のぽっかりと開いた心の隙間を、講師が埋めてくれるのですから好意を寄せてしまうのは当たり前の状況です。
 それでいて、相手には結婚した相手がいるとすれば、奪ってでも…と考えてしまうのです。

すべての基準となる、親と子。しかし……

 その実。共働きとなれば、親身になってあげることは、できないかもしれませんし、帰宅すれば疲れて相手をするのが大変な場合もあります。
 よく考えれば、共働きではなく、どちらか片方が家庭に入り、子育てをメインでやる方が一番いいのでしょうが、環境によってそうはいかない場合もあります。

 その場合は、親のような存在を先生に置き換えることが増えていきます。そうすると、親がどんなことを考えているのかがわからなくなり始めます。一緒に暮らしているだけですが、そこまで尊敬したり慕っているわけではないので、何を考えているのかわからなくなってしまいます。
 それと同じように、子供の考えていることが、親がわからなくなってしまうのです。親の心子知らず、子の心親知らず。といった状況が出来上がってしまいます。

 そんな親からすれば、子供はいつまでたっても子供です。そのため、多くのことを学んだとしても越えられないものはあります。身長や経験など、より濃密な経験で親よりも濃い経験をすることもできます。
 親では経験できなかった内容を、子供は経験することが多くあります。しかし、そんな子供でも、経験できないことがひとつあります。それは、父親が経て経験した内容です。それは、親子での対話でしか引き継げない内容で、父親や母親が経験したことは、親と生活するうえで、昔話のように語り継がれることで過去のことを知ることができます。

 それを日々の生活で人格を形成する糧となっていくので、子供を育てることになります。それが脈々と受け継がれ、世代交代をしていくことになります。

 “親の心子知らず、子の心親知らず”

 とは言いますが、寄り添うことで学べる内容が、増えていきます。ただこれは、大人になってからでも十分に間に合います。それは、子育てで苦労をした場合に、相談に乗ってもらうのにちょうどよく、孫が可愛くなるため、より昔話をするようになります。
 そうして、祖父や祖母を交えて子育てをすることで、より大人として育っていくことになります。そんな私の父は早く逝去してしまいましたが……

追伸。この話を書こうとした理由が、夢の中で父とドライブしたことでしたw