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結城里音のBLOG

PixivにてSSを執筆している作家のブログになります。

過去があるからあなたがある。 2020.09.01

 過去にとらわれるな。とはいうけれど……

“過去の失敗や学びからあなたができる。”

 そんな話。

 

やっちゃった。などのやらかし。しない方がいいけど実は必要?

 社会人として生活していけば、あれやこれやと仕事を頼まれて、失敗ややらかしをしてしまうことも多々あります。私もそのうちの一人でした。
 新人なのだからと、上司はいろいろと経験させたいのか、あれやこれやと頼むのなんのって……

 新人にとここぞとばかりに頼む上司もいますが、新人なのですからキャパシティーも限られています。そのため、失敗をしてしまうことが増えてしまいます。
 そうすると、次からはその仕事をやらせてもらえない場合もあります。何せ、やらかして損害を与えてしまったのなら、なおのことです。

 社会人になって就職することで、会社の社員やバイトとなることに。配属された職によっては、会社の見本のような位置づけになります。
 それは、営業職であればなおのこと、会社の見本のように背中に会社を背負っているようなものです。そんな営業職や外で作業することが多い職業の場合は、会社の名前を背負った状態で仕事をしていることになります。

やらかしがあるからこそ、成長がある。

 そんな社員は、当然看板を汚すことになってしまいます。そんな社員は当然別の部署へと配属になったりすることになります。配属を変え、社内規範をよく学んでから営業職へと戻ることになります。
 やらかしから学び、その失敗を繰り返さないようにと、規範を学び営業職としての社員を目指すことになります。

 これは、どの会社でも、どの役職でも同じで失敗した社員にしっかりと教えて新たに成長させていくことになります。それは、失敗から学んでほしいという上司の意思もありますが、おおむね会社の顔の社員をしっかりしてもらうために、頑張ってもらうことになるのです。

 そうして、成長を行い、社員としての人となりが育っていくことになります。これは、学校を卒業したら勉強は終わり。ということではなく、社会人として生活していくために、いろいろと学んでいく必要があります。
 これが、学校を卒業後から始まります。高校卒業から社会人になる人もいれば、大学を経て専門職へと特化してから社会人になる人もいます。その多くが、社会人1年目から、いろいろと学ぶこともあります。

 もしかしたら、大卒1年目が一番つらいかもしれません。何せ、ある程度の知識を経てからの社会人なので、専門職に直接就職することになってしまいます。そのため、ある程度社会の事情を学んでからきているだろうと、会社の人は考えてしまいかねません。
 そのため、大卒というだけで、パッケージが豪華になります。そのことで自分がより多くのことができるようになりますが、同時に学ぶことも多くなってしまいます。

中には、やらかしを続けちゃう人も。

 人口数百万の都市に、それだけの大卒の人がいれば、いろんな性格の人が多く存在します。それなら、失敗を続けてしまう人も存在します。
 脳の発達によって異なり、障害が残ってしまい、その影響でやらかし続けてしまう人も当然います。

 そんな人には、ゆっくりと寄り添って時間を使う必要が出てきますが、日々日進月歩で新しい事柄が増えてくる中では、長い時間をかけて寄り添うなんということは無理に等しいです。
 そんな人向けに、田舎の支店があれば、自然豊かな地域へと行き、ゆっくりと時間をかけて、記憶力と心を養う必要があります。しかし、送られた方はそうは思いません。

 何せ、前線で活躍していたのに、地方に配属。つまり、左遷されたようなものですから、どうしても、いやな思いになってしまいます。それも、いきなり左遷の事例が交付されるのですから、反感も持つことにもになってしまいます。
 そんな人は、地方の営業所からすれば、前線で何かやらかした人なんだ。というレッテルを張られてしまうかもしれません。その色眼鏡が、その人を追い込んでしまうことになります。

やらかしから何かをゲットする。

 そこから、その人が何を学ぶかにかかっています。
 しかし、左遷されたと思ってしまい、いずれ前線に戻りたいと思っている人にとって、反感という感情を抱いてしまっています。それは周囲から見る色眼鏡と同じで、戻る可能性を下げる色眼鏡となり、学ぶ目すら曇らせてしまいます。
 その“色眼鏡”をいかに外し、外されるかによって、やらかしから何を獲得できるかにかかっています。

 色眼鏡で見ないことは大変かもしれません。世の中は色眼鏡が多くありますし、それを脱ぎ捨て本来のものを見ようとすると、隠れてしまうものもありたどり着くのも一苦労の場合もあります。
 日々事柄が増える中で、その事柄に対しての真実に到達するのは、一長一短に行くものではありません。そのため、一定の納得できる場所を求めて答えを出すことになります。

 この発展的な考え方にたどり着けるかどうかは、物事のプラス思考を積極的に吸収することが必要になってきます。
 物事に対して、プラスもあればマイナスもあります。そのため、マイナスの方向の視線に目が行ってしまっていては、思考自体もマイナスへと傾いてしまいます。思考は志向を呼びよせ、行動そのものがマイナスへと傾倒してしまいます。

 その結果として、自分の失敗に対する改善点が見つけられない状況になってしまいます。マイナスの思考は煙幕のように目的をくらませ、さらにマイナスの志向を生み、行動すらマイナスへと傾倒するようになります。負の循環となってしまいます。
 そのマイナスの思考から、いかにプラス思考になり発展的な志向へとつなげるのか、なかなかの肝となってきます。

今日より明日、明日より明後日。発展的な目で。

 発展的な目で見ることで、失敗を建設的な目で見ることができ、それは発展的な結果を導き出します。先ほどのマイナスの志向だと建設どころか、墓穴を掘ってしまうことになりかねません。
 そのため、いかにプラスの面を見て、発展的に考えるかによって、未来が変わってきます。どうしても結果として現れるのがマイナスの面として帰ってくるため、マイナス思考として考えてしまいがちになります。

 しかし、ひと呼吸を置いて考えると、その事柄に対してのプラスの面も見えてきます。それは、過去の選択を踏まえて事柄を見ると、ある一定の答えが導き出されることがあります。
 それは相手の思考を踏まえての考えが必要になるかもしれません。こうされたら相手はどう思うのか。それに対しての答えが自分に対する失敗という結果を導き出しているのかもしれません。

 世の中には、多くの事柄があり、その事柄すべてに対してプラスの面とマイナスの面が用意されています。そのすべての事柄を熟知するのは、誰にもできません。そのため、ひとつひとつ分析して、教訓を……とこんなことができるのは聖徳太子か、神に準ずる人くらいです。
 そう考えれば、自分の前に用意された失敗が、自分が選択した結果なら、越えられる結果でもあります。そこから学び、発展的である答えを導き出せるかによってかかってます。

 今日より明日と発展的に考えられるようになりたいものですね(`・ω・´)b